年の瀬ですね


はい、どうも銀歯です。

何かと慌ただしい年の瀬がやってきましたね、年を跨ぐ準備は出来ていますか?

あ、別に興味はないので答えなくても大丈夫です。

明日は大晦日ですが、大晦日の思い出といったらやっぱり年越しジャンプですね。
これは、自分が小学生の頃に自身に課していたライフワークみたいなものです。

年を越す瞬間にジャンプをして、地上では年を越さないという決意を表明する儀式でした。

しかし、小学生の頃の銀歯家は夜9時に就寝という厳しいルールがあった為、基本的には一度夜中に起きる必要がありました。

これは口でいうほど簡単なものでありません、音を立てずに目覚まし時計を鳴らす必要があったために布団の奥深くに目覚ましを仕込む必要があったのです。

自分の儀式のために他人を巻き込むわけにはいきませんからね。

結果的に小学校4年生〜中学2年生の頃まで自分は地上で年を越したことはありません。
何故、途中で辞めたのかというと、「虚無感」に襲われたからです。

自分が空中で年を越すことで、世界人類が平和になるのであれば遣り甲斐もあったと思います。

しかし、現実は地上で年を越しても、空中で年を越しても、世の中には何の変化もありませんでした。
唯一、自分自身の中で「俺は空中で年を越している男だから、地上で年を越しているお前らとは違う」という自信があっただけでした。

忍者になろうとしていたり、山の向こう側に外国があると思っていたり、空で年を越したりと、奇行が目立つ少年でした。

そんな少年は年を重ね、底辺になりましたとさ、めでたしめでたし。

皆さんがどうやって年を越すのか知りませんが、たまには空中で年を越してみるのは如何でしょうか?
とても厳かな気持ちで新年を迎えられると思いますよ。

ここまで書き殴ってみて改めて思ったのですが、こんな文章を38歳が書いていると思ったらゾッとしますよね。

我ながら恥ずかしいです、でも底辺なので許して下さいね。
「底辺」は虐げられていると言われていますので、「底辺」という立場を有効利用しましょう、免罪符に使いましょう。

では、今回は年越しジャンプについて書きました。


皆さん、仕事終わりましたか?


どうも、銀歯です。

動画も見てくれて、ブログも読んでくれる貴方が好きです。嘘です。

世間では仕事納めが多いですよね。

しかし、年間休日なんかは小さい会社程、宛にならないもんです。

こういった会社の本当の姿は実際に入ってみなければ分からないところがありますよね。ハローワークで出している求人情報は宛になりません。

特に年間休日や昇給率やら、平均残業時間は参考程度にしかしたら駄目です。零細企業なら平気で嘘ついてきます。

まあ、個人零細の募集を見ても基本的にはスルーしたほうが身のためだと思いますよ、これは今まで底辺で這いつくばってきた感じた感想です。

特に若い人はそんなところで時間を浪費したら駄目です、個人的に零細企業で働いて良いパターンを考えてみます。

①全般的なスキルを得たい場合

②それ以外の選択肢がない場合

③比較的大手企業に勤めるよりか待遇が1・5倍〜2倍以上貰える場合

④将来、何らかのメリットがある場合

このぐらいですね、これに該当しない場合は大手に入りましょう、悪いことはいいません。

まず①の場合ですが、個人零細企業は大体少人数で運営しているので、その仕事全般において学ぶことは出来ます。

部分的にしか学べないであろう大手企業よりかは運営も含めた仕事が学べますので、将来同じ職業で開業して食べていきたいとか考えるのであれば一番の早道かもしれません。

地味にコネも作りやすいというか、接する人が同じように仕事に直結していることが多いので後々で即戦力のコネに繋がったりもします。

大手で働いていて、いざ独立開業したところで、取引先は大手に対して魅力を感じていただけといった場合も多いので、コネだと思っていたものがコネではなかったというケースも結構あります。

まあ、こういうコネの部分は運と人柄次第なので何とも言えませんけどね。

②は、やはり個人零細は人が来にくいです。募集をかけても人は滅多に来ません。

ましてや有能な人なんか全くと言っていいほど来ません。なので、若者であるだけでも大体入れてしまうでしょう。

面接でまともな対応ができれば、ですが。

まあ、そういった事情もあり、門戸は割と広く開かれている印象です。経験者募集とかいう要件は無視して応募してみてください。

結構いけますよ、ハロワの職員も聞くだけ聞いてみますね、と言って無理矢理に面接をねじ込んで来たり普通にしています。

なのでやっぱり雇ってもらえる確率は高いです、なのでどうしても困った人は背に腹は変えられませんので個人零細企業に入るのもありです。

③は個人的には2倍は最低限欲しいです、やはり待遇と言った形で表してもらわなければ零細に入るメリットはないですからね。

その個人零細がどこまで生き延びるのかも分かりませんし、大手より明らかに体力はないでしょうからね。

そのときに共倒れになってしまっても文句は言えませんので待遇は大事です。

ただ、自分の仕事に専念できる環境ではないことは多いです、大手企業から個人零細に堕ちてきた人は驚かれるかもしれません。

個人零細ではかなりの幅の仕事を末端作業員にも課してきます、これは人数が少ないので仕方ありません。

「うちは少数精鋭だから」というフレーズは何度か聞きましたわ。
まあ、精鋭というには程遠い人ばかりなのは底辺個人零細の言ってはいけないお約束です。

まあ、基本的には仕事はハードになると思うし、周りのサポートの質も下がると思っておいて下さい。

そして、そもそもですが、大手企業より高待遇を提示できる個人零細は滅多にお目にかかれません、逆に見付けたら訝しんでしまうレベルです。

はい、では④です。
これは将来的にその仕事の地盤を貰えたりするレアケースです。

親族がやっている場合、娘や息子と結婚する場合等があります。

極稀に跡継ぎがいないので、といった理由で貰える場合もありますが、これはレアケースなので考えません。

まあ、これもそもそも、儲かっているか?いないか?で判断しますよね。
儲かっていない地盤を受け継いでも無意味なので。

まあ、他にも色々なメリットが考えられるかも知れませんが
基本的には個人零細より中・大企業の方がすべての面において勝っていますので、どう考えても個人零細を雇用先として選択する人は赤信号です。

たまに少数の方が人間関係が煩わしくなさそうだとか、とにかく人の少ない環境で働きたい系の人がいます。

これ残念なことに社会を知らない高校生に多いパターンです。

これは余程運が良くなければ後悔する可能性高いですからね。
自分の経験上、大手企業のほうが全てのタイプの人間をカヴァーすることができます。

コミュ症でも、人間嫌いでも、人間大好きでも、頭お花畑でも、大手に入りましょう。

全国の個人零細の方、怒らないでくださいね。
まあ、恐らくそんなこと経営者であれば自覚はあると思いますが

はい、そんなこんなで銀歯でした。

ブログでお金が発生したぞ


はい、どうも銀歯です。

やっとGoogle AdSenseの審査に受かり、ブログに自動広告が入りました。収益額は数十円です。

収入を晒しては駄目だという決まりはブログでもあるのでしょうか?良く分からないので正確な数値は晒しません。

とにかく数十円です。

一月続けたらお菓子代ぐらいにはなってくれることでしょう、出来ればサーバー代ぐらいにはなって欲しいのですが。

取敢えず、サーバーの更新日が1月末なので続行か中断かそれまでに決定します。完全にボラれていますね。

正直、ブログの方向性が全く分かりません、何かを宣伝してアフィリエイト広告を添えるように貼り付けるという形が一番効率よく収益を出すコツなのでしょうね。

まあ、正直そんな面倒臭そうなことはやりません、自分は面倒くさがりですので適当に好きなことを書いてお金にならなければ諦めます。

動画に関しても「毎日投稿凄い」とか言われたりしますが、正直好きだからやれているだけです。

自分にとっては特に苦でもないです、ただ編集が億劫で面倒くさいだけです。ノーカット編集で動画を出せばいいじゃんって思われるかも知れませんが、それは出来ません。

一応、こう見えて視聴者さんに不快な思いをさせるのはトーク内容だけと決めているので。

まあ、普通に淀みなくスラスラと語れたら一番いいかも知れませんけどね。頭が弱く、蓄膿症の自分には無理です。

そしてこのブログについては反応すら見えないので良く分かりません、銀歯班の面子を紹介するのには便利な媒体ですけどね。

やはり、作る側も受け取る側も動画という媒体で音声データとして受け渡しした方が楽なのかもしれませんね。

文字というものは看板や注意書き等、日常に溢れてはいますが、普通に生きていれば一瞥するだけで把握できる量の文字ばかりです。

少し長い文章となると、やはり能動的に読む覚悟が必要になりますし、想像力も必要になってきます。

あれです、要は大変で面倒くさいのです。

逆に、音声は普段から受動的に受けている刺激ですし、覚悟も必要ありません。スラスラと耳に入ってくるのです。

まあ、音声も文章と同じで想像力が必要になりますが、全く人のサポートがない文章とは違います。

文章は一人で読んで、一人で想像してとそれなりに労力を要するのに対し、音声の場合は相手のリズムや声色や高低がサポートしてくれて想像がしやすいと思います。

それにやっぱり「馴れている」というのが一番大きいかなと思いますね。

そして、「ながら」で聞けてしまうというのも強みですね、文章を読むときはそれは不可能ですので。

なんか知らないですが動画の記事になってしまいました。

話がどんどんズレて行く、これが自分です。取敢えずブログの目標はサーバー代を稼ぐっていうことですね、当面は。

ネタ切れを起こすとかそういったことは自分には無縁ですので安心して下さい、だってこれ只の日記みたいなものですから。

ちなみに自分は昔からほぼ毎日日記を書いてました、そして文字数もえげつない量を書いていましたね。

心の声、考えていることを全部文章にして纏めていたので完全に頭のおかしい人です。

けど、やっぱ落ち着くんですよね。当初は「文字を書く」という行為に対して落ち着いていたのかと思っていましたが、トーク動画を作り始めてから気が付きました。

対話する人がいないからこそ、自分自身と対話していただけです。自分自身との対話は傍から見たらクソ気持ち悪い行為ですが

誰よりも自分のことを一番理解しているのも自分であるという事実がありますので、とても有意義ですし、冷静に今置かれている状況を分析することも出来ます。

やはりトーク動画、ブログをやっている今でも時間があれば日記を書いてしまいます。これらは日記の代用にはならないのです。

やはり、自分との対話こそ一番問題を解決してくれる方法だと思いますし、心の安定を保つためにも必要です。

まあ、自分の一番の親友や理解者は自分であるということですね。

なので動画やブログは日記とは言え、純粋な日記ではなく、その中で生まれたウンコみたいなものです、排泄物です。

排泄物は生きている限り生まれ続けますので、有効利用ですね。

やべえ人です。「面白くない」という意見に対しては「知りません」という感じです。

それでは「銀歯、ブログで収入を得る」でした。

日雇い労働の見る夢


どうも、銀歯です。

日雇い労働、皆さんやったことがありますか?自分はあります。

日雇い労働というのは読んで字のごとく、一日単位で雇われる雇用形態で数ある底辺労働の中でもトップクラスの底辺労働です。

その殆どは、スキルも必要としないので五体満足でありさえすれば誰でも出来ます。

その代り給料は最底辺です、そして基本的に忙しいときに、忙しい場所に配属されることになるので仕事もハードなことが多いです。

職場によってはカーストの最底辺に属するので罵詈雑言は当たり前だと思っておいたほうが良いでしょう。

製造の現場なんかだとまだマシですが、野外の肉体労働系やトラックへ積み込む荷物を運ぶ系の仕事は酷い扱いでした。

まず、基本的に仕事を教えるという文化がないので、いきなりの指示に従い臨機応変に対応出来る人でなければ罵詈雑言を浴びせられます。

彼等は出来ることが当たり前だと思っているので、その当たり前のことが出来ない人間は人間扱いはしてもらえません。

というよりか、基本的には最初から苛ついている状態でのスタートだと思っておいた方が身の為だと思いますよ。

そのぐらい底辺労働者達は荒ぶっています。そして、日常的に日雇い労働者を使う人達は分かっているのです。

日雇い労働者達の無能さを。

やはり、日雇い労働を選択する人間は何らかの理由で落ちてきた人達ばかりです。

仕事が続かなかったり、浪費癖があったりとか、犯罪者だったりとか、様々な理由があります。

自分の場合は頭が悪かったのでやっていました。

学生が日雇い労働をやっていることも多いですが、彼等は他の日雇い労働者を見て此処に落ちてこないように決心することでしょう。

そんな日雇い労働現場ですが、これほど社会の痰壺はありません。社会経験をしたいと思っている人がいるのなら日雇い労働は絶対にやるべきです。

特にクリエイティブな職業を目指している人は社会の痰壺を覗いたほうが良いと思います。銀歯班に負けないぐらいのインパクトのある人達がいるはずです。

そして、その人を遠目から観察するのではなく接触してみてください。

きっと貴方の将来の作品に役に立つはずですよ、ネットなんかやっていないで今すぐ日雇い労働に参加してみてください。

幸い、門戸は広く開かれています。ただ、コレだけは忠告しておきます。

同情だけはしたら駄目です。

以上、銀歯でした。

株式投資に群がる亡者ども


どうも、銀歯です。

クリスマスも終わり、いつもと同じ日常が戻りました。毎年クリスマスというのは悪いこともしていないのに後ろめたい気持ちになるものです。

特にイブの日なんていうのは、コンビニすら一人で入るのを躊躇してしまいます。けれど、それで良いんだと思います。

これが平気になってしまったら大変です、前回の記事がその理由です。気になる方は読んでみて下さい。

まあ、それはそれとして、日経平均が昨日1000円以上値を下げてついに2万円の大台を割ったらしいですね。

株はこれがあるから怖いですね、コツコツと積み上げてきた資産がドカンと一発でやられてしまいます。まさに米国が咳をすると日本が風邪をひくというヤツですね。

日本は地盤がゆるゆるなのです、米国の株価と連動しすぎていますよね。

株が調子よく上げていると、株式投資を始めた者たちは「株をやらないのは情弱」、「これだから日本人は」、「投資で資産を働かせれば寝ている間に勝手にお金を生み出してくれる」なんてことを声高に連呼してきます。

実際、自分の身の回りにもこういう人はたくさんいました。ネットの世界でもたくさん見てきました。

自分の場合、株式投資は19歳の頃からやっているのでそれなりに歴だけは長いこともあり、こういう輩が多く存在していることは身をもって知っています。

そして、株価が下落するとともに元気がなくなり、口を閉ざすのです。ネットの世界では彼等が何処に行ったのか誰にも分かりません。

思い返せば、自分が投資を始めた切っ掛けは友達の誘いでした。

当時、オンライン証券が生まれたばかりの頃で、大学生の友達に教えてもらい始めました。あの頃は会社四季報なんてものを購入して、ファミレスでああでもないこうでもないと暗中模索をしていたのを覚えています。

自分にオンライン証券の存在を教えてくれた大学生は、父親が株式投資をやっていた為に少しかじった程度でした。

なので一緒に勉強して、一攫千金を夢見ていましたね。一攫千金という言葉に弱いのも底辺の特徴です。

いや、一攫千金という言葉には底辺でなくても弱いでしょう。

しかし、結果から言うと自分達はまるで歯が立ちませんでした、蟻ん子が全貌も分からない程の大きさの巨人と戦っているような感覚でした。

その後、色々な手法を試してみましたが全く歯が立ちませんでしたね。

随分と投資関連の本も読み漁り、システムトレードなんかの勉強もしてみたり、思いつく限り試してみました。

それほど、株式投資の世界には金脈が眠っていることだけは分かっていました。巨人はドラクエで言うところのゴールドマンみたいなものです。

スライムがゴールドマンに立ち向かうようなものですから当然、ボコボコにされます。

中に金が詰まっていることは分かっていました、けれど自分は蟻ん子です。周りの大人達がロケットランチャーみたいな重火器で応戦してもびくともしない巨人を相手に戦っていたのです。

幸いなことに、自分は巨人の一撃を喰らうことなく生き延びました、そして歯が立たないということを身をもって学びました。

生き延びただけで、そこからどうお金を奪取するのか?そこが明確に分からなければ惨敗したのと一緒です。

世の中には金脈がそこにあると分かって、広く門戸が開かれていても、全く触れられない世界もあるんだなあということを学べました。

これはとても運が良かったと思っています、何故なら自分はレバレッジを最大までかけて勝負していたからです。

まあ、株のレバレッジなんてものは当時は3倍程度なのですが、それでも巨人の一撃を喰らえば資産がマイナスになることもあり得ました。

最終的には損も得もしない程度で終わったのですが、これはとても幸運なことだと思っています。

投資を始めたばかりの人ほど、投資関連の本を読み漁って知識を蓄えます。インターネットで情報を調べ尽くします。

そして、こう思うのです。「自分は周りの有象無象とは違う」と。

自分はここまで調べ尽くしてから参戦するのだから、他の人間より優位性が高いはずだし、無茶な掛け方はしない。

そして、金融リテラシーが高い自分は資産が目減りしても理屈を信じて冷静沈着でいられる。

そう思うのです。

しかし違います、いくら株式の知識が備わっていたところで実際は自分の血を見てみなければ分からないこともあります。

血の温度や色、それが自分から流れているものだという自覚。

実際に資産を減らした時、人はとても狼狽します。自身の経験や狼狽する人を見てきた経験から感じることです。

そこに信じられる理屈がない状態で体内から流れ出る血を見ると人は狼狽しまくるのです。

痛みもなく身体から血が吹き出している状態って一番怖いですよね。狼狽しない人なんかいないと思いますよ。

まさに資産は血と同じなんです。

「株式投資は勝てる」と言う人は多いです。インターネットでの「勝てる」発言は根拠が無いので信じないで下さい。

現実世界で「勝てる」「勝っている」と言う人がいたら、実際に年間取引書を見せてもらって下さい。税金を払っている証拠を見せて貰って下さい。

また、実際の勝った金額ではなく、投資をやっている「期間」と「トレード回数」を重視して下さい。

実際、自分は1年以上に渡って、ある程度のトレード回数をこなした上でプラスの収支になっている人とは現実世界で出会ったことがありません。

現実的に税金を収める義務が発生する人自体が物凄く少ないのです。たまにラッキーパンチが当たった人が取り沙汰されるので、多くいるという錯覚に陥ってしまいますけどね。

個人的には長期投資に関してもやはり試行回数の少なさ故に勝敗は全く信用できません。やはり回数が少なければそこには「運」の要素が入ってくるので。

運ではなく未来を予測するんだと言う人がいるかもしれませんが、そもそも長期的な未来なんてものは予測できません。

所詮は結果論で、言ったもの勝ちの世界です。

国内優良株を長期保有すれば配当を貰え、会社も潰れることがないから安全だと言っていた人達が昔はかなりいました。

今もいるかも知れませんが・・・

その人達は他の手法をことごとく馬鹿にしていました。自分達のやり方だけが勝てる方法だと豪語していたことを覚えています。

しかし、保有している優良株が暴落すると共にやはり口を閉ざす運命なのです。恐らく自分達ですら豪語していたことは記憶にないと思います。

まあ、しかし株価の乱高下で生まれた差額で利益を得ようとするよりかは健全な考え方だと思います。

株価の乱高下は恐らく法則性がないですから、所謂「ランダムウォーク」というヤツですね。

以前は自分もこの乱高下に法則性があるのではないかと考えていました、人間と人間が取引をした結果なのでそこに法則性や規則性が生まれるのではないだろうか?と考えてしまいますよね。

ですが、結果的にそれは見付けられませんでした。もしかしたらあるのかも知れませんが・・・

今では「ランダムウォーク理論」を支持しています。
よって、株価の乱高下で差益を出すというやり方よりか、長期保有で配当を貰うといった考え方のほうが健全さを感じてはいます。

それは自分が以前動画でオススメしていた、世界連動株価指数に対しての投資でも同じことが言えます。

これは長期保有と同じ考え方に併せて、世界各国の投資対象物に分散して投資ができる点で投資手法としてはかなり安全な部類じゃないかと思いました。

資本主義が崩壊しない限りは、日本が例え落ちぶれても世界全体では人口が増え続けていることもあり、経済状態は膨らみ続けるでしょうから。

しかし、所詮は「資本主義が存在する限り」という条件が付いていますので、株式投資のプレイヤーとしては盤石なんてものは存在しません。

ただ、日本の優良企業が失墜する可能性と、世界全体での資本主義が終わる可能性のどちらが高いか?という問題を考えれば、後者のほうがリスクは少ないでしょうけどね。

まあ、実際は日本では全く人気が出ていません。日経の株価に連動してしまっている状態だと思います。

あまりにも流動性が低いですからね、なので欲しい方は海外のまともに売買されているものを買った方が良いかと思います。

ちなみに自分は持っていません、そんなにまとまったお金も持っていませんし、資本主義がいつ終わるか分からない状態になってきていると勝手に思っているからです。

まあ、仕手株なんてものもありますし、金脈からお金を取り出す手法自体は否定出来ませんが、やはりそれ相応のリスクはあります。

脆弱な予想をして楽しむのは自由ですが、そこにお金を賭けるなんて考えてみたら正気の沙汰ではないのかもしれませんね。

つまり、株式投資において「勝てる」なんて強い言葉を使う人を信じない方が良いと思います。

ただし、「勝てない」とも言えません。正確には「分からない」が答えです。

世の中には株やFXなんかの投資の世界で狙って勝ち続けている人は存在するらしいです。会ったことはないですが、確かにいるらしいです。

ですので、勝てるのか勝てないのか、結局の所は分からないのです。

まあ、運なのか実力なのかは良く分かりませんが、取敢えず自分には無理でした。そして、多くの人も同じだとは思います。

けれど、「分からない」のですから試してみる価値はあるかもしれません。

問題は「勝てる」と強気な発言をする人の割合がそれなりに多いことです。そして探って行くと、実態が伴っていないパターンばかりでした。

なのでこれから株式投資を始めようと考えている方がいたらこの記事を転ばぬ先の杖として置いておきます。

参考にするも自由、しないも自由です。

株式投資やその他のトレードの世界に渦巻いているのは虚栄心や見栄やプライドを含めた割と悍ましいほどの欲望です。

楽に稼げる、一攫千金、なんかの心躍るフレーズの周りには必ず渦巻いているものです。

株式投資は「運」であると言う人だけが恐らく「まとも」です。

って感じで終わります。

普通になりたがる人々


どうも、銀歯です。

最近、フジテレビのザ・ノンフィクションを見ることにハマっています。

はい、人間ドキュメンタリー系の番組です。

中には様々な人間が出てきます、いわゆる「普通」の人など一人も出てきません、一様に皆どこかが「おかしくて」、「変」な人達です。

中には我々「底辺層」も登場します。「底辺層」は数こそ多いですが、やはり悲惨なその生態のお陰でノンフィクションに目を付けられてしまうのですね。

世の中に完全に「普通の人」なんてものは存在しません。「普通の人」というロールモデルがあって、それになりきれる者が正しいのです。

やはり、「普通の人」であればあるほどにメリットを享受でき、デメリットを受けにくくなりますからね。

自分は皆が理想とし、模範とする「普通の人」を否定するつもりは一切ありません、逆に「普通」であることを頑なに否定する人に対して「酸っぱい葡萄」を連想せずにはいられません。

普通であることはバランスが良いのです、一定の能力値がなければ「普通」とは見做されません。その能力値は多岐に渡ります。

コミュニケーション能力、言語能力、判断力、空間識別能力・・・と、様々な能力が一定水準以上でなければ「普通」とは見做されません。

所謂、「普通の人」とは優れた人なのです。なので皆、無意識にそこを目指します。そして伴侶となる人にも「普通」を要求する人が多いでしょう。

人は「普通」を渇望しているのです、そして「普通」でない人々は「普通」であることを諦め、「普通」が持て囃される世の中の風潮を恨み、妬み、そして自分を守るために馬鹿にして嘲笑います。

しかし、やはりどんなに妬んでも、「普通」である人には勝てません。現代で求められている能力が一定水準以上ある人間なのですから。

当然、「普通」というラインは定義できません、これは個々人の価値観に多く委ねられているかと思います。

普通判別テストみたいなものがあれば良いのですが、道徳的に問題があるでしょうね。

しかし、周りの反応を見れば自分が「普通」かどうかの判別ぐらいは出来るでしょう。

周りの人が自分に対してどう思っているのか?集団の中で自分の立ち位置はどこなのか?どこだったのか?

これを考えてみれば分かります、群れの中での自分のポジションというのはその群れを変えただけでは多くの場合変わりません。

不思議なことに環境を変えても自分の立ち位置というのは変わらないのです。しかし、これは一見不思議に見えるだけで実際は全く不思議ではありません。

例えば一クラス30人程度の学生がいるクラスの中で、スクールカーストなるものが低位だとしたら、その30人のサンプルをそのまま拡大したものが世界なのです。

夢も希望もない話ですが、これはその30人の分母をどれだけ増やしたところで根本的には変わらないと思います。

確率は意外と少ないサンプルデータでも成立するものだと聞いたことがあります、そして実際に自分の過去を思い出してみて下さい。

スクールカーストが低かったクラスメイトが何故低かったのか?理由を考えてみて下さい。

案外、具体的な理由が浮かんできますよね?性格が暗かったりだとか、勉強やスポーツが出来なかったり、泥棒癖があったりだとか、中二病だったりだとか、弱いくせに凶暴だったりだとか、空気読めなかったりだったりとか、人を見下していたりだとか。

まあ、実際は性格云々よりか総合的な能力値の低さの問題が多いんですけどね。

とにかく、明確な理由がいくつか浮かぶはずです。ですがこれ自分自身だった場合はそこまで浮かばないと思いますけどね、不思議ですね。

言いたいことは、明確な理由がある以上は他の集団に移っても彼や彼女は再び地位の低い場所にたどり着くということです。

原因を一言で言うならば「普通」という理想から乖離しているからです。「普通」を目指す集団では「普通」から乖離していることこそが悪です。

嫌悪の対象にまでなります、それは不思議でもなんでもありません。

では「宗教法人普通教」から閉め出された人々は一体どこに向かうのでしょうか?

難民となった彼等は「個性」を主張し、「宗教法人個性教」を創ります。

そして自らも信者となり、「宗教法人普通教」との戦いが始まるのです。

謂わば、ポジショントークの争いですね。

ですが、この場合やはり「宗教法人普通教」に紛れ込んでおいた方が、又は紛れ込める努力をした方が断然得策だと思いますよ。

何故かというと、マジョリティをどちらが握っているかと言うと「普通教」の方ですから。

よって、この戦いは現代から過去まで含めて、圧倒的に「宗教法人普通教」が勝利します。

ザ・ノンフィクションを見ているとこの現実を痛感します。いつだって彼や彼女は不器用がゆえに、能力値の低さゆえに、「普通」から閉め出されます。

それをテレビの向こう側で見世物として我々が眺めるわけです。

中には「個性」を重視する社会でないことに憤りを覚える人も、彼や彼女達の不器用さに共感し涙する人もいるでしょう。

しかし、世の中の大きな流れに逆らうことは誰にも出来ません。抗い、逆らえば精神に異常をきたす可能性が高いですよね。

結局、合理的な方法は「受け入れて、共存する道を模索する」ことでしょう。

受け入れるのは「弱い方」である「個性教」の人達です。強者である「普通教」の人達は助けてはくれません。

「普通」を放棄するのではなく、否定するのではなく、理解する努力をするだけです、意外とやっていない人はたくさんいます。

「そら救われねえわ」って思います。逆にノンフィクションに出てはいても、一見すると「普通」に属している人もいますよね。

彼等は、どこかで普通を理解、把握することで、紛れることを覚えているのだと思います。

出来ない人もいる、というのは多く聞かれそうですが、実際周りのちょっと変わった人達を観察してみてください。

多分、紛れようともしていないと思いますよ。それはそれで美しいかもしれません、しかしやはり誰も助けてはくれません。

はっきりと書きますが、どちらが正義なのか?悪なのか?の話ではありません、どちらが世の中のメリットやデメリットの恩恵や被害を被るかという話です。

もしも「普通」であることに対して憤りを感じている人がいるのなら、それは「酸っぱい葡萄」になっていませんか?ポジショントークだということを把握した上で振りかざしていますか?

と思っただけです。

書くの疲れました、さようなら。

ちなみに↓の動画では全く真逆っぽいことを言っていますが、この考え方に至る過程の話です。

ちなみに個性的な人が、普通になれるとは今でも全く思っていません。あくまでも理解し把握する努力をするべきだということです。

弱者側が無理をしないでいい世の中にはまだなっておりません。


冷静と情熱の狭間


どうも、銀歯です。

自分の動画を見ている人は「こいつネガティブなやつだなあ」と思っている人が多いのではないでしょうか。

コメント欄でもたまにですが、言われます。

しかし、自分ではネガティブだとは微塵も思っていません、かといってポジティブだとも思っていませんが。

これは自分の数少ない長所の一つだと認識しています、ネガティブでもポジティブでもなく中間であるということです。

実際、自分は今まで生きてきて自分のことをポジティブだともネガティブだとも考えたことがありません。

他人から指摘されたこともありません、つまりどちらにも偏っていない可能性が高いと思います。

自分はバランスをとても重要なものだと考えていますので、殆の物事は中間というのがベストな立ち位置だと考えています。

少なくとも今の世の中で他者から評価されるためには「中間」というのは重要なキーワードな気がします。

こーいうのは今後は変わっていって欲しいなと思ってますが。

というわけで、このネガティブ・ポジティブに関してはベストなポジションに立てているのではないのかなと自分では思っています。

しかし、まあ自分の動画は「日記」や「哲学」がメインであり、基本的に心に引っ掛かった物事を追求したり、語ったりするスタンスです。

日常生活で「より引っ掛かる物事」とは、心がざわつくものです。

心がざわつけば、ざわつく程にその物事について語る確率が上がります。

そして、どういうことで「心がざわつく」かと聞かれたら、それはショックを受けたことの方がどーしても多いです。

他の人はどうなのか知りませんが、生きていると喜ばしいことや、順調に物事が運ぶことよりか、その逆の出来事のほうが多いのではないでしょうか?

これは自分が無能だからかもしれませんが・・・

これは恐らく社会で生きてゆく上で他人がわんさかいるコミュニティに属する必要性があるからです。(多くの場合)

他人と関わるということは、喜ばしいこともありますが、当然喜ばしくないことも多くあります。それは仕方がないですよね。

それは自分が自分の人生を生きてきたように、他人は他人の人生を生きてきている人間だからです。

納得できないことが多々あって当然ですよね、それが他人と作業するっていうことです。

許し合いながら、妥協しながら人は人と生きてゆくものです。

他人と作業をする、他人と生きる、これは良い出来事も悪い出来事も運んできます。そして、長期的に見たら人生を豊かにすると考えています。

良い出来事も悪い出来事も、人生を豊かにする上で必要なことだと自分は考えています。なので、この「心のざわつき」を否定はしません。

動画内では、この日常の引っ掛かり「心のざわつき」をよく日記として語っています。なので一見したらネガティブな動画と捉えられても仕方がないのかもしれまん。

けれどそれは考える切っ掛けであって、決してネガティブなことではないと思います。そのままにしておくとネガティブなことなのかもしれませんが、自分の中で消化をすることでシコリは消え、自分の思考の一部になる気がするのです。

言っときますが、反省して改善策を見つけるという話ではありません。

巷ではよく「反省し、改善点を見つけよ、そして振り返るな」と聞きますが自分の考えはちょっと違います。

人はそんなに簡単に変わりません、改善策を見つけ出すことは簡単ですがそれを習慣にできる人が、次は上手くやれる人がどの程度いるでしょうか?

正直、ほとんどいないと思います。

改善できることはすればいいのです、すればいいのですが、改善が簡単に出来るものではないことを把握しておくべきだとは思います。

物理的な解決方法があるもであれば、まあ解決出来ると思います。ただ試してみればいいだけのことですからね。

しかし大半の悩み、葛藤というものは、心の中の暴風雨ですわな。
じゃあなぜ自分は考えるのか?というと、ただスッキリするためです。

心の中で綺麗さっぱり消化する感じです、自分の場合多くのことは考えてゆくと壁にぶち当たります。

「どうすることも出来ない」という壁です。

これは問題を放棄して逃げているだけに捉える人もいるかも知れませんが、38年間生きてきて明確なのが、人生の時間は有限であり、三つ子の魂百までということですね。

なので殆どのことはしょうがないのです、取敢えず「壁」にぶつかることで納得するようにしています。

この「壁」に当たると死ぬほどスッキリとするんです、本当に消化された気分です。だって「どうすることも出来ない」んですもん。

そしてそこまでの過程が自分の中で「哲学」になります。

なんか非常に胡散臭い自己啓発チックになってしまいましたが、自分はそういう感じで生きてきて、実際問題も起きておらず、かなり有効な手段だと思っています。

そんだけのことです、はい。



100円ショップが嫌いな底辺


はい、どうも銀歯です。

今日は100円ショップについて書いてみようかと思います。

自分は100円ショップに行ったことが人生で片手で数えられるぐらいしかないです。何故なら100円ショップが嫌いだからです。

しかし、世の中には100円ショップが大好きな人が多いですし、人気なのも知っています。

底辺なのに100円ショップを毛嫌いするというのは立場的に生意気かもしれませんが、底辺であるという立場だから言えることでもあります。

そして、これは個人的な趣味趣向の話だということを忘れないで下さいね。

なぜ100円ショップが嫌いかというと、まず自分の田舎には100円ショップというものが存在しません。ど田舎には100円ショップは需要がないみたいです。

100円ショップに人生で一度も入ったことがないまま成長した自分は、都会に出て100円ショップに体験入店してみました。

初めて買ったのはキッチンの汚れを落とす系の道具と、クラシックCDでした。それらの使い心地は忘れました。

印象は、色々な物が売ってるなということと、安っぽいなってことでしたね。まあ、だいぶ昔の話なので今は知りません。

その後、100円ショップには近寄りませんでした。

しかし、零細の建設コンサルタント会社に入った時に社長の息子が100円ショップが好きだったため強制的に100円ショップの商品を使うことになってしまいました。

その社長の息子は結構な倹約家で、無駄な玩具みたいなものは大量にオークションで落としていましたが、仕事の道具には一切お金を使いたがらない人間でした。

例えば軍手はずっと使いまわしで、洗濯すらしていなかった為にコンクリがべっとりと付き、ガチガチになっていました。

そのぐらいの倹約家なので、全てを100円ショップで揃えていたのです。

そのお陰で知ったのですが、100円ショップの商品はやはりクソです。安かろう悪かろうです。

殆のものはチープで玩具のような作りでした、なので自分は100円ショップで嬉々として買い物をする人達が信じられません。

その会社のお陰で自分は100円ショップアレルギーになりました、今ではあのチープな感じを見ただけで吐き気がします。

日々使うであろう道具に100円ショップの製品を積極的に使用している人がいることが驚きです。

そして、これが100円ショップの製品なんだぜ?と言わんばかりに自慢げに話してきますが、内心では「いや、どう見ても100円だろ」って思っています。

100円ショップもやはり商売ですので、中身は100円なのです。

いくら狼の皮を被せても中身は羊です、100円です。

自分は羊は羊で良いと思っていますが、わざわざ欺く為に狼の皮を被った羊は大嫌いです。

よって100円ショップも大嫌いです。これは自分が底辺、年収200万円であるということとは関係なく嫌いです。

つまりそういうことです、さようなら。

底辺ほどコンビニ利用率が高い?


どうも、銀歯です。

最近、動画のコメント欄で何度か意見や質問があった「底辺ほどコンビニ利用率が高い」ことについて思ったことを書いて行こうと思います。

まず、思ったことは確かに底辺はお気軽に入れる代わりに値引きもないコンビニを使っているイメージはあります。

そのイメージが何処から来るのか考えてみましたが、恐らく「底辺=何も考えていない」というステレオ思考が根源にあると思います。

何も考えていないから、お得なスーパーを利用するといったことまで考えずに、コンビニを安易に利用するのだというプロセスからの発想でしょう。

ただ、本当にそうなのでしょうか?

自分の底辺労働現場の人達から考えてみたいと思いますが、基本的にコンビニを使用しているのはお金に余裕のある「単身者」で、さらに「男性」で「若年層」「一人暮らし」をしている層が多いイメージです。

彼等は底辺だからコンビニを利用しているわけではなく、単純に自炊をしないからこそ使っているのだと思います。

都会で働く、「非底辺層」でも同じ条件であればコンビニを有効利用しているでしょう。

その他の底辺層は基本的にはコンビニを利用しません、自分は仕事帰りなんかにコンビニに寄ることも多いですが、彼等と滅多に会いません。

彼等がどこで食料品を買っているかというと、やはりスーパーです。スーパーで特売品なんかを狙って買っています。

つまり、底辺層がコンビニを多く利用するわけではなく、底辺である自分がコンビニを利用しているだけのことですね。

コンビニ利用率のデータを見てみると2017年のデータでは50代以上の利用率が全体の37%でした。そして40代以上で61%です。

8割の利用者は30代以上です、底辺層は30代、40代にも多いですがやはり若年層の方が多いと思います。

なので底辺ほどコンビニ利用率が高いというのはステレオタイプの思い込みだと思うのです。

まあ、人工分布と比例しているのでそのままスライドしているだけという話もありますが。

自分の場合コンビニに求めるものはやはり気軽さと時間です。あの狭い店舗の中で、他の客も決して大量の買い物をしていないこともあり、気軽に短時間で買い物ができます。

例えばドリンク一本を買うために、スーパーに行く人もいるでしょうし、確かに数十円の節約になりますが、それはあくまでも考え方の違いの範囲内に納まる額だと思っています。

当然、一人暮らしをしている時の食材はスーパーで買っていました。今後、一人暮らしをするとしてもスーパーとコンビニ、ドラッグストアを併用すると思います。

けれど、身近な底辺に限って言えばコンビニを利用している人の割合は決して多くはないですね、寧ろ少数派です。

単身、男、一人暮らし、若年層

これらの条件が揃えば恐らく底辺でなくても底辺であろうともコンビニは利用する割合は比較的高いと思います。

そして、底辺の代名詞ともなっている「現場作業員」がコンビニを利用している比率も高いことからも底辺=コンビニというイメージが湧きやすいと思います。

彼等は昼休憩の時間帯によくコンビニにいますからね、そしてニッカポッカや汚れきった作業着を着ていることが多いのでどうしても目立ちますよね。

しかし、あれは工事現場の近くに手軽な飲食店があることの方が少ないからでしょう。つまり、理由があってコンビニを使っているわけで決して底辺だから使っているわけではないと思いますよ。

現場作業員が底辺労働者かどうかについては個々人の見解が分かれそうなのですが、世間一般的に見たら底辺作業員だと思われているでしょう。

(ちなみに自分は被雇用者なら、年収500万円以下であれば底辺、以上であれば底辺でないという考えです)

まあ、あとヤンキーはコンビニに集まる習性がありますからね。それもコンビニが底辺というイメージにマッチングする理由の一つでしょう。

底辺の頭脳を舐めないでもらいたいですね、底辺で「面倒くさい」という理由でコンビニを利用しているのは自分みたいなパラサイトシングルだけです。

それか、お金に余裕のある高齢者層です。彼等はそこまで節約する必要がないですから。

つまり他の底辺は「考えて、出来る限りで節約」をしているケースが多いです。底辺はコンビニを好むというのは固定概念だと思います。

つまりそういうことです。

「やりがい」産業に従事する人


はい、どうも銀歯です。

今日の動画は介護職について語りました、動画を撮影したときには介護職について何の知識もなく話している為に「なぜ介護職員の給料は安いのか?」全く分からないという内容です。

介護してもらいたい老人は大勢いて、増え続けている。老人は比較的お金を持っている。

この2点を満たしているのに不思議と、介護の現場職員の給料が安い。安いだけではなく、長時間勤務や所謂3Kといった過酷な現場だと噂で聞きます。

なので当然人手不足に陥ります。自分は介護に携わったこともなければ、携わろうと思ったこともありません。

同じ底辺職なのに完全にブラックボックス状態です。というわけで、軽くインターネットで調べてみました。

よくよく調べてみると、介護職の給料が安い理由が少しだけ分かりました。

①単純に施設が人件費を安く抑えているため

②介護保険制度の介護報酬なるものが少ないため

まあ、細かいシステムはやっぱり理解できていませんが、単純に雇用者と社会システムの生贄になっているような感じです。

これだけでは、ただ雇用主の方が給料を上げればいいだけなような気がしますけど、こんなに根が深い問題で雇用主が叩かれていないところを見ると、まだ何か重大な問題があるとは思いますが・・・

調べろよという話ですけどね、単純に面倒なのです。知っている人いたら教えて下さい。

よく介護職で働いている人は「やりがい」があると言います。

給料は安くて、長時間勤務だけど「やりがい」があると。

お年寄りの感謝の言葉や、自分が必要とされていることをダイレクトに実感出来るという経験は否定出来るものではありません。

しかし、やはり多くの人は「やりがい」より、待遇だと思います。現に介護職の人手不足は問題になっています。

どこでも介護職の有効求人倍率は高いので、誰もやりたがらない仕事として認知されているのでしょう。

「やりがい」という魔法では若者の心は動かないようになってきています、多分情報の共有化が進み外の世界を知ってしまったからでしょうね。

幸福度は相対的に感じるものですから、今まで老人ホーム内で「周りも同じだから」と考えていた層の「周り」が変わってしまったわけです。

この「やりがい」というのは色々な業界で若者を騙すために使われています、そもそも「やりがい」はしっかりとお金を稼げる仕事でも存在しています。

しかし、そういった仕事では「やりがい」なんていうフレーズは労使共に積極的には使いません。そんなもの必要がないからです。

「やりがい」なんてものは他にアピールポイントがない職業が無理矢理に使うか、使われる人が自分を欺罔するために使うものです。

まあ、使われる側が「やりがい」をアピールするのは他にも色々と考えられますが、使う側がアピールする「やりがい」ほど危険なものはありません。

「やりがい」という魔法の言葉に釣られて今までは多くの底辺が待遇に目を瞑ってきましたが、今後はそうはいかないかもしれませんね。

底辺と言えど、今は皆インターネットに繋がっていますからね。今後も「やりがい」に代わり様々な魔法の言葉を作ろうとするかもしれませんが、恐らくもうそういった小手先の言葉では底辺も動きませんよね。

同じ底辺とは言えど製造業は昔からあるのでかなり恵まれている感じがします、魔法のフレーズもあまり通用しません。

そして、この「やりがい」産業に従事している人は収入に対して労働時間が長い傾向がありますよね。

「やりがい」でご飯が食べていけたら確かに素敵ですが、人生の時間は有限で限りあるものですのでめちゃくちゃ貴重な資源です。

「やりがい」に人生を奪われないようにしたいと思う底辺労働者でした。

終わり。