週休3日になってもらいたい


どうも、銀歯です。

それにしても僕らって働きすぎじゃないでしょうか?
週休2日じゃ足りません、3日は欲しいです。
欲を言えば4日は欲しいところです。

そもそも、昔は週1休みだった筈なのに娯楽が発展し僕らは明らかに怠け者になっていますよね。

今では企業に就職される際に、週休二日制なのか?完全週休二日制なのか?と言ったところで最近は争いがあります。
求人広告の嘘や、ブラック企業に騙されるなと言うあれです。

まあ、確かに求人情報は良いことばかり書いてあるので、大袈裟に詐欺求人をしている所も多いです。

週休二日制と、完全週休二日制では大きく変わってきますからね。

自分から言わせてもらえば完全週休二日制なんてものは当たり前なのですが・・・人間の基本的人権だとすら思っています。

けど、これが週休3日制になれば、恐らく僕らは週休2日制に対して物足りなくなり、昔の人はよく週に2日だけで休息日で過ごしていたなあなんてことを言われることでしょう。

恐ろしいですね。

しかし、毎日残業をして、週休二日制でもない人達も大勢います。
よくやりますよね・・・

けれど、自分もその環境になってしまえば恐らく簡単に馴れるんだろうなあとも思います。

人間の環境適応能力を侮ってはいけません、そもそも休みなんてものは週に一回でもあれば人は余裕で生きられるのです。

いや、そもそも寝る時間があれば恐らく余裕で生きられます。

昔の人はそうだったのですから、現代人の甘えです。

人は権利を要求する生き物ですね、どこまで与えても結局はそれよりも更に充実した生活を要求するのです。

悪い意味でも良い意味でも人はすぐに馴れます。

多分、週休3日制になっても、暫くすると「働きすぎ」という文句が上がってきます。

逆に労働をしなければしないで、労働に対する憧れが生まれてくるのでしょうね。

ただ、僕が今思っている週休3日制になって貰いたいという気持ちは本物です。

現代社会では、余暇時間はかなり増大しているみたいです。

1965年から2003年にかけて男では1週間で5〜8時間、女は4〜8時間の増加もしているみたいです。

その結果として、レジャー産業が目覚ましく成長し、余暇時間から利益を得ようとして、スポーツ、旅行、映画、テレビなんかの産業が台頭したという経緯があるみたいですね。

今ならネット産業でしょうね。

けれど、余暇時間自体は増えても、多くの人は時間貧乏になっているということです。

それは自由に使える時間が足りないわけではなく、空き時間が足りないから
余暇時間の増加ペースが消費の増加ペースに追いついていないということです。

やること、やりたいことは日々どんどん多くなっていっているわけです。

メキシコの実業家のカルロス・スリムなる人は週休3日、1日11時間労働への移行を提唱しているみたいですが、これは結構合理的です。

朝の支度の時間や帰宅後のスイッチのオンオフ、通勤時間の削減が出来ますからね。

そもそも通勤時間って明らかに仕事内ですよね、自分はそう思って生きています。

この週休3日、1日11時間で労働をすることで、毎朝着替えて会社に行ったり、準備をする時間が省かれますから多少なりとも自分の時間の確保に役に立つことでしょうね。

では、寝ます。
おやすみなさい。

テレビを見ること


どうも、銀歯です。

皆さん、テレビ見てますかね?自分は最近めっきり見ないです。
けれど、テレビを付けると大抵面白そうな番組がやっており、見入ってしまいます。

最近、よく思うのですがテレビってやっぱり良いですよね。
ネットやyoutubeと違うことは、こちらから受信する選択肢が狭いのです。

番組は沢山ありますし、局もいくつかありますが、やはりネットのような膨大な数から任意に選択ができるわけではありません。

これはテレビというメディアの劣っている部分になりつつありますが、意外とテレビで見た雑学って結構良いと思うんですよね。

意識の外から発せられる情報を受信するって、ネットや本ではそこまで無いですからね。

興味のある分野を掘り下げて、深い知識を身につけたり、周辺情報を集めるのにはネットや本で調べることが一番良いのですが、
そもそも興味のあることや、興味のある人物のことしか調べませんからね。

それを繰り返していると、極端に視野が狭く、凝り固まった価値観になってしまいそうです。

ネットをやっていると、よく見かける人達というのは大体似通った思想や信条を持っており、似通った発言をしているように見えます。

それは自分の考えから来ている言葉なのか?と疑ってしまうような人も結構多いです。

そして往々にして自分色に染めようと熱弁を奮う人もいます。

テレビというメディアは洗脳や情報操作に使われてきたと言われがちですし、確かにそれは否定することは出来ないと思いますが

個人的にはインターネットの方が人って洗脳や情報操作しやすいとぼかぁ思いますよ。

なんせ元々が能動的に情報を受信していますからね、本人も「能動的である」という意思が強くあることこそ危険なわけです。

実は「受動的」でも、「能動的」であっても情報操作なんてものは受けているわけですし、そもそも「能動的」に見せているだけで実は「受動的」だったりもします。

GoogleやAmazonの広告なんかを見ていると、興味のあることしか広告表示されませんし、検索エンジンには近くの場所やよく見るサイトが優先的に表示されますもんね。

けれど、本人は「操作されていない」という強烈な自負があるのですから、「能動的」であるネットの方がテレビより遥かに厄介ですわ。

自らの意志でそこに至っている、という考え方そのものが一番厄介ですし、扇動をする側にとっては都合が良いわけです。

結局の所、いつの時代も大衆心理というのは個人よりコントロールしやすいんですよね。

なんてったって伝播して行きますからね、オセロと同じで黒に挟まれたら強固な意志で白でいようと思っていてもいつの間にやら黒になっているのです。

オルテガという哲学者は「人間は個人では賢いが、大衆になると途端に愚衆となる」と言いましたが、本当に的を得ているとぼかぁ思います。

人が如何に集団の中で生きている動物なのか?というのを考えさせられますね、皆騙し騙されて生きているんです!

では。

雷って恐ろしいよな


どうも、銀歯です。

突然ですが、雷って恐ろしくないですか?まず空がゴロゴロ鳴っている時点で頭がおかしいわけです。

悪い予感しか感じさせません、それでも真夏の夕立と雷には風情がありますよね。

だがしかし、カミナリはかなりやばい現象です。

昔、友達のムーブエアロダウンカスタムの助手席に乗っていたときのことです、突然車にカミナリが落ちました。

車にカミナリが落ちた場合、中に乗っている人は電撃が地面に逃げてくれるため何ともないみたいなのですが、かなり衝撃的な光景でしたよ。

突然、目の前が真っ白になり、二人で唖然としていた記憶があります。
(近くに落ちただけの可能性もありますが)

あれ、クルマの外だったら死んでたんでしょうね。

それと、これは自分の話ではないですが
中学生の頃の教師が授業中に話をしてくれました。

その教師は下校途中に傘をさしていた女の子がカミナリに撃たれて命を落とすところを目撃したことがあるとか言っていました。

その女の子はさっきまで教師と会話をしてたらしいのですが、そんなものを見てしまったらトラウマになりますよね・・・

幸いなことに自分にはカミナリは落ちたことがありませんが、いつ奴らに命を狙われるか分からないんです。

山の上とか結構危ないです。

まあ、要はかみなりってどう考えても頭おかしいわけです。
あんな殺人的な自然現象を人類はいつまで放置しておくのでしょうか?

間接的にではなく、直接的に人々を殺しに来る自然現象は雹と雷だけです。

これ豆知識ですので覚えておいて下さい。

くわばらくわばら

働かなくて良い未来が天国だ


ども、銀歯です。

このブログを更新するのも結構久しぶりな気がしますが、最近忙しすぎて更新が出来ませんでした、忙しいというよりか考えるべきことが多すぎて
こんな儲かりもしないブログを更新するに気にならなかったわけです。

さて、今日紹介したい過去動画これです。

『働かなくて良い未来を何故みんな悲観するのか?』

まず、この動画を語る前に、前から思ってたのですが『世論』という言葉の読み方の問題なのですが「よろん」「せろん」一体どっちが正解なのでしょうか?

自分はどちらの読み方も動画によって使っていますが、たまにコメントでツッコミが入ります。

まあ、ググってみた所どちらも正解ではあるみたいですが、やっぱり「よろん」で統一した方が良いのかもしれませんね。

何となく「よろん」の方がよく聞く気がしますしね。

はい、んでは記事を書いていこうかと思うのですが、今後AIの発展により職を奪われる可能性があるということで少し前から世間で話題になっております。

まあ、どう考えてもAIは今後益々発展をして行き、生活が便利になると共に「不便の部分」を請け負ったり、解消することを生業としていた人達は職を失うでしょう。

そして、エンターテイメントなんかの分野や知的労働の分野、もしかしたらクリエィティブの分野にすらAI革命が及ぶかもしれません。

そうしたら当然多くの人達は職を失うでしょうね。

それは高卒の僕でも分かります。

現に多くの経済学者も、テクノロージの恩恵はすべての人に及ばない可能性があると指摘してます。

そして、低スキル、低賃金の人達を守るために政府が社会保障を充実させる必要があると。

テクノロジーの進歩によって消滅しない職につきたいのであれば、この二つのカテゴリーから職を探すべきだとも言っています。

①人間が「絶対優位」をもっている仕事
②人間が「比較優位」をもっている仕事

この内の創造性、共感、問題解決、身体的作業に関しては今の所は・・・ですが、人間が絶対優位を持っていると。

向こう数十年、中程度の雇用の空洞化が進む中でもこれらの能力を要する職は残るということです。

いつか人工知能やロボットが人間を凌駕する日が来るが、それでも人間が比較優位をもつ分野は残るので、未来の高所得者はそこに存在するというのです。

では、低スキル、低賃金で、上記の二つの条件を兼ね備えていない仕事に従事している多くの人々は一体どうなってしまうのでしょうか?

まあ、自分自身もそうなのですが・・・野たれ死にの可能性が高いのでしょうか?

正直、自分はそこまで悲観的な見方をしていませんけどね、数の力ってのはどの時代でもクソ強いですからね。

これから全世界で仕事難民が増えてくるかと思いますが、何処かの国の何処かの人達が何かしらの対策を打ち立て、それが波及して底辺の人達が
働かなくて良い世の中になることを切に願っております。

完全に人任せ、他国任せな考え方ですが・・・

というか、自分自身があんまり働きたくないですね。

完全に働きたくないのではなく、あんまり働きたくないのです。
そこは重要ですよ!

ではでは。