本当は儚くて、とっても短い人生


僕は今までに死にそうになったことが何度かある。

その殆どを動画で話していないと思うのだが、無駄な好奇心と、行動力のせいでもあるし、軽率な行動のせいでもある。
注意不足のせいでもある。

恐らく人生っていうのは本当にひょんなことで突然終わってしまうのだろう。
昨日まで元気でピンピンして生きていても、ある日突然の事故で死んでしまう。
人間の身体なんてものはとても脆い、命はとっても脆弱で、生きているということは常に死と隣り合わせなんだろう。

けれど、やっぱり明日も生きるだろうという希望的観測の元に僕らは今日も涎を垂らしながら生きている。

思っているよりか人生は短いし、命は脆弱だし、「ここで終わりだよ」なんてのは誰も教えてくれない。

底辺だろうが、底辺じゃなかろうが、今のとこ命は平等に脆弱だ。

色々な意味で人生や命をもっと大切にしなければならないって突然思った。
夕焼けを見てそう思った。

そろそろ末期なのかもしれえへん。

底辺に寄り添う??


たま〜に、銀歯さんこれからも底辺に寄り添った動画を作って下さい系のコメントがあります。

こういうコメントを見ると胸焼けしそうになります。

だって、自分は底辺の味方じゃないし、底辺を見下している訳ですし、だからこそ底辺から抜け出そうとしている訳です。

底辺に同情なんかしませんし、自分も同情なんかされたくないです。

「弱者の味方」というスタンスは吐き気がするほど嫌いです。
というか基本的にどっちかにポジションを取りたくないです、僕が取っているポジションは自分本位です、自分のことしか考えていません。

だから「弱者の味方」でも「強者の味方」でもありません、これは事実です。
寧ろずっとこういったスタンスで動画をやって来ているのにも関わらず、未だにこういったコメントが来ることが理解できません。

「お前のこと見損なった」とか、「ほんとクズだな」とかいうコメントも貰ったりしますが一体全体僕に何を期待しているのでしょうか?

僕はクズではありません、かといって弱者の味方でもありません、ただの底辺です。
自分のことしか考えられない底辺です、マザー・テレサのことは下に見ています。

いや、よく考えてみたら別に上にも下にも見ていません。
興味がないです、テレサはテレサで好きに底辺を救ってくれればいいと思います。

僕は救いません、この先もずっと底辺を救いませんし、もし間違えてお金持ちになったら底辺界隈とおさらばしますが、底辺界隈にお返しなんかするつもりも毛頭ありません。

底辺同士が手を取り合って底辺から抜け出すとか、ONE FOR ALLとか吐き気がします。

底辺から抜け出したければ一人でそっと抜け出しましょう。
僕の辞書には「移動は誰かと一緒に」という言葉はありません。

ただその代わり他人の足も引っ張るつもりはありません、抜け出したいやつは抜け出せばいいと思うし、足掻けば良いし、
底辺同士で馴れ合いたいやつは馴れ合っていれば良いとも思います。

僕は自分が抜け出せればどうでもいいのです、このコメントをくれた方は自分で動画を出しているみたいでした。

宣伝して下さいというDMが届いていました。

見たら河川敷のホームレスに食料を買ってあげて、支援を呼びかけて、動画撮影していました。

ホームレスは急に姿を消していました。

すみません、吐き気を催してしまったので僕の動画では紹介することは出来ません。

色々、悩んでる


どうも、銀歯です。

人生、楽ありゃ苦もあるらしいですね、僕の人生は基本的には「苦」でしょうね。
他人から見たらそう思われるかもしれないです。

自分自身はこう見えて一生懸命生きてるんで、考えたことがないです。

ただ、他人に言われるんです。

そして、今現在も自分がした選択が果たして正しかったのか、間違えてたのか、そして戻るべきか、進むべきか、異常に悩んでいます。

悩んで、悩んで、悩み抜いても、答えなんか出てきません。

そもそも答えってなんでしょうか?結果でしょうか?

人生万事塞翁が馬というのは、僕の好きな言葉ですけど
振り返ったときにしか実感できませんよね、これ。

取り敢えず、意地でも生きていきますが、その人生の中で何を得たいのか?
何がいらないのか?

正直、良く分からなくなってきますよね、だって実際に自分は欲しい物を全て持っていますし、何も持っていないのですから。

良く分からないと思いますが、僕自身が良く分からないわけです。

近くに夜回り先生が歩いていたら、衝動的に相談してしまうかもしれません。

そう言えば、夜回り先生って数年前に癌で死ぬとか言っていましたが、全然死にませんよね。

癌はどうなったんでしょうか?

当時の僕の友達が夜回り先生に憧れて、夜の街を徘徊したらしいです。

そしたら職務質問されたと怒っていました。

警察官は第二の夜回り先生を潰したんです、許せますか?

まあ、孔子の言葉らしいですが

『子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず』

とういうのがありますが、僕は四十になっても、五十になっても、惑い続けて生きたいですわ。

惑わない人は、自分の中ではゴム毬みたいなもんです。

人間らしくないです。

自分にとっての本当の幸福を改めて考える


こんばんは、銀歯です。

さて、今日は不安を感じることは生きていることであるというテーマでブログを書いていこうかと思います。

『底辺は考える、人間は本当に幸福を手に入れられるのか?を』

さて、自分は種田山頭火が物凄く好きです、尊敬する人は特にいない自分ですが好きな人は結構います。

種田山頭火もそのうちの一人です。

彼の放浪の生き様、刹那的な生き様が好きだというわけではありません、彼の作品が好きなのです。

正確に言えば彼の作品の作り方や姿勢、これが好きなのです。

山頭火は基本的に自由律で詩を綴ります、五・七・五のリズムやルールなんか平然と無視して作品を作ります。

煩い人は山頭火の作品を認めないのかもしれませんが、山頭火の作品の魅力はそもそも自由律なのです。

内容も只の独り言みたいなものや日常のささくれを描くような素朴なものです。

この何とも言えない世界観は山頭火にしか出せない味でしょうね、彼がいくら家族を捨てたクズであっても、精神病を患っていたとしても、そんなことは彼の作品には関係ありません。

作品自体が現代を生きている彼なのです。

すみません、熱くなりすぎました。
テーマを戻しますが人生には常に不安がつきものです、これは常人であれば極当たり前のことであって、不安を消すことはどこまで行っても難しいでしょうね。

逆に言ったら不安を感じるからこそ生きていると言っても過言ではないです。

不安というものは恐らく自然界の動物達も感じているのかもしれません、それは将来に対する不安ではなく今現在外敵から襲われたりする不安ですが
自分達人間はそういった不安とは縁遠い世界で生きさせてもらっていますが、その代りに未来の自分に対して不安を感じるようになっています。

不思議ですよね、今日の飯が食べられて、外敵に襲われない環境を与えられても次は未来に対する不安が生まれてくるんです。

これがお金があれば消えるのかどうかは、自分自身がお金がないので分かりません。

あくまでも予想ですが次は別の不安が生まれてくるんでしょう、お金をどれだけキープすることが出来るかとか、こういう人生でいいのか?とか。

まあ、結局のところ悩みが高尚になっていくだけのことで、幸福度自体は今感じている幸福度から上げようと思ったら、しっかりと要点を抑える必要がある気がしますね。

自分にとって必要なもの、不必要なもの、それらをしっかりと把握していくことが大事だと思いますので、自分はそうします。

底辺から抜け出すこと、これは自分の目的の一つではありますが、そもそも自分にとって必要のないものを貴重な時間を使い得ようとする行為にどこまでの意味があるのか?

これをしっかりと考えていかなくてはなりません。

自分は年収を上げることに固執していますが、それによって時間が失われるのであれば正直本末転倒です。

それほど自分にとって時間というものは大事なものであって、他人が感じる時間への価値とは同じではないかもしれません。

少なくても残業で1,200円〜1,400円で売りたいレベルではないです。
それは底辺であろうが譲れません。

今後、自分の幸福度をどう上げていくのがベストか?それをお金と時間とやりたいことのバランスで考えていったほうが良いのかもしれません。

というわけで、さようなら。

役に立たないアドバイスやクレーム


どうも、銀歯です。

昔、反町隆史が「言いたいことも言えないこんな世の中じゃ」って歌ってましたよね。

友達がタンクトップでよく熱唱してました。

さて、今日紹介したい過去動画はこれです。

『コピー人間ばかりの世の中が面白いんか?』

もう内容はあんまり覚えていませんが、当時かなり長文のクレーム兼アドバイスを頂いたことから作った動画だと思います。

まあ、自分の動画スタイルは好きなことを話すっていうクソみたいなスタイルでやっています。

何故なら継続できるスタイルだからです、楽だからです。

しかし、動画のトーク内容について不快に思う人がやっぱりいるんですよね。

単純に見なければ良いのにと思いますが、そうもいかないらしいです。

この方の場合は「こうした方が良い」みたいなアドバイスも入っていたので、そこは参考にはしますが、根本的に単独のクレームというものは聞かない方が良いことが往々にしてあります。

何故なら、修正を加えることで反対ポジションの人間が逆に不快に思ったりするだけですからね。

それプラス自分の素直に思っていることまでも曲げる必要があり、結局のところ聞かない方が良い場合が多いのです。

なので、理屈が納得できる意見以外は基本的には聞く価値が無いなという感じですね。

聞きたくないというよりは、聞かない方が良いのです。

多くの場合、自分にメリットも無いにも関わらず積極的に忠告やクレームを入れてくる人間というのは支配欲が強い傾向があるかと思います。

それが良い人だという見方もあるかもしれませんけどね。

白を黒に染めたがる人は、自分の考えに絶対的な自信を持っており、正義は我にありという自己陶酔をしています。

経験的に年齢が上がれば上がるほどに増えていく印象があります、それだけ自分の経験や人生に自信があるのでしょう。

絶対的に正しい自分の主義主張、思考、哲学、宗教が正義であり、それに沿わないものは悪だという考えが割と強いですよね。

まあ、誰しもが多かれ少なかれそういう傾向はあるとは思いますが、大人になり思い通りに行かないことに触れることによって、変わってきますよね。

自分はポジショントークをしている。

根本的にその部分を把握した上での意見であることが最低条件なんじゃないのかと個人的には思いますねこれ。

まあ、白を黒に変えてくよりかは
世の中には色々な人種がいて、色々な国があって、宗教があり、慣習や環境が全然違うわけですから寧ろ違いを楽しむといったほうが建設的だと思いますけどね〜。

説得する方も相当ストレス溜まると思いますよ、特に自分みたいな頑固な奴が相手だと。

純真無垢な人も中にはいるので、そういった人を探し出して染めるか、自分の分身である子供を染めるかの方が遥かに建設的ですね。

そもそも同じ日本人であっても大体共通しているのは、人間であることや、日本語を話し、理解することが出来るってところだけだと思うんですけどね。

違いを楽しむなんてのは理想論なんで、実際にはクソほど難しいことなんでしょうけど、相手を染め上げることほど大変なことないですからね。

時代が時代なら銀歯班面子はロボトミー手術を強制執行されている可能性すらありますね。

そう言えば昔見た「カッコーの巣の上で」というタイトルの映画、面白かったですよ。

さようなら。

田舎に戻ってくれば大体負け組


どうも、銀歯です。

田舎っていうのは本当にお金が稼げませんよね、基本的に企業の体力もありませんから。

そういった意味で言えば、東京への一極集中というのは仕方がないことなのかもしれません。

だって、仕事ないんですから。

というわけで、今回紹介したい過去動画はこいつです。

『田舎に戻って来れば大体みんな負け組』

そうなんです、田舎に戻ってきて、公務員等の選択をしなかった人は高確率で負け組になります。

ちなみに、自分の言っている負け組とは平均年収を大きく下回っている人々のことです。

つまり、年収だけでしか判断していませんので悪しからず。

人それぞれ、家族の繋がりや、自然や、故郷に重きを置いている人はいるかと思いますので。

それでも年収だけで見たら標準よりかなり低くなる確率は高いでしょうね。

実際、この動画内で話している、自分の元上司である人物も有能な奴だったと思うのですが、やはり年収は低いです。

こういう人物が都会に行けばそれなりに稼げそうなのになと思いますが、まあ実際問題そこまでシンプルな話でもありませんもんね。

まあ、とにかく田舎の人間は、都会と田舎とで働く場所を選択しなければならないのですが、多くは都会を選択するでしょうね。

今はまだ組織に雇用され、肉体的拘束を受け、仕事をするスタイルが一般的なわけで、都会に一極集中することは当たり前です。

田舎は益々人的資産がなくなり、都会に吸い上げられ、枯れていく。

そりゃそうですよね、わざわざ好き好んで仕事の選択肢も待遇も悪い田舎を選ぶ理由は、多くの場合そこまでありません。

田舎に戻って来れば大体みんな負け組なんです。

故郷で生きていきたければ、公務員を選択することが一番賢いのかもしれません。

では、アディオス。

喧嘩して負けた


どうも、銀歯です。

皆さん、国際交流してますか?

僕は中学生の頃に国際交流の末、中国人にボコボコにされた思い出を話します。

『中国人にボコボコにされて咽び泣いた話』です。

これは、子供の頃のバイオレンスな話しですが、リアルで中国人に抹殺されかけたんです。

この中国人留学生?は、中学生ながら物凄いマッチョでした。

まあ、頭を触ったことで、カチキレた中国人留学生がとんでもない形相で襲いかかってきたというだけの話です。

このときの顔、未だに脳裏に焼き付いています。
人生で何度目かの人に殺される可能性があるなと思った瞬間の一つです。

とにかく、倒れ込んだ自分の頭を何度も何度も躊躇すること無く地面に叩きつけられた上に、血の海が出来てましたからね。

結果的にその血は、ただの鼻血だったのですが・・・
僕は鼻の血管が弱いみたいで、すぐに鼻血を出す子供だったのです。

その後、誰かが呼んでくれたのか、体育教師が来て事なきを得たのですが・・・

この体育教師の冷たい目線も忘れることは出来ません。

心底見下した感じの目でしたね、「何やってんだ、お前」と言われ行ってしまいましたが・・・

普段からこの教師との仲がかなり悪かったので、仕方がないかもしれません。

取り敢えずこの中国人留学生はそれからどこに消えたのか不明ですが、当時住んでた家にはキムチラーメンが山積みにされていたので、
もしかしたら中国人ではないのかもしれません。

自分は彼の異様にツンツンした頭を好奇心で触ってみたくなったのですが、
これは絶対に辞めたほうが良いですよ。

下手したら事件になります。

反面教師にして下さい、では、さようなら。

20代後半の生き方


どうも、銀歯です。

皆さんは、20代後半の頃何をしていましたか?

僕はフラフラとしていました、人生の迷子でしたね、それでも当時は迷っているという自覚はなかったんです。

多分、必死で毎日を生きていたんだと思います。

そして、後々考えると、今の自分も十分に迷子になっているかと思います。

つまり、人生なんてものは常に迷子であって、迷子でないんですね。

将来の自分から見たら、自分の歩いてきた道程ですので、懐かしく思えるでしょうし、愚かに思えるものなのでしょう。

逆に、これから歩く道は何が起こるか分からない、未知の世界ですから、その時に自分が迷子になるだなんて思ったりしませんもんね。

未来の自分に少しでも希望を持って生きていくのが人生だと思いますし。

というわけで、今日紹介したい過去動画はこれです。

『20代後半をどう生きるか?を年収200万円が答える』です。

年収200万円の底辺が何を偉そうにアドバイスしているんだと思われそうですが、リクエストがあっての動画なので勘弁してもらいたいですね。

なので、リクエストをくれた方に向けての動画だと思って貰えばいいです。

まあ、正直自分と同じことをしていたら、同じような場所に来る可能性が高いかもしれませんので、オススメはしませんが。

反面教師的に使ってくれれば良いと思います。

その人間が、どう生きたいのか?何を目標にしているのか?何に価値や基準を置いているのか?

その辺は人それぞれ、千差万別だと思います。

なので、一概に何かをオススメするといったことはしませんが、それでも人生の中でやって来て良かったと思うものはあります。

それは読書と日記です、よく動画内でも「読書」という言葉を使うと、高卒の分際で読書を語るなと怒る方がいますが、学歴は関係ないと思います。

本を読むということは、他人の世界を受け入れることであって、自分以外の価値観を外部から取り入れることです。

基本的に日本語が読めれば誰だって出来ます。

別に難しい専門書を読む必要もないと思います、少年ジャンプだって読書だって偉大なるトリ氏は仰っていました。

読書も日記もどちらも内面世界を豊かにしてくれるものだと思いますが、価値観を多様化するということは、物凄く人生の役に立っていると思っています。

思っているだけで結果が伴っていないので、勘違いかもしれませんけど。

例えば綺麗なものを見て、その裏側の汚いものを想像できるか?
汚いものを見て、その裏側の綺麗なものを想像できるか?

これは本を読むことで得たのかもしれません。
まあ、これが決して良いことなのか分かりませんけどね・・・

当然、メリットとデメリットがありますが、使いようによっては物凄く心強い武器になるとぼかぁ思っています。

そして自分の中に断片的な知識の点をたくさん増やしておくことで、偶然にもそれが線になることはあるかと思います。

工場で製造をやっているだけではそんなことは滅多にないと思いますが、特にクリエイティブな仕事をしている人にとっては、かけがいのない財産になるような気がします。

なので20代後半と言わず、小学生ぐらいから本を読む楽しさを覚えたら人生は有利になるような気がしないでもないです。

実際問題、本を読む人は年々減少してきているらしいです、「本を読む」という行為だけで10%程度の少数派に属することが出来るのではないでしょうか?

これって地味に凄いことな気がします、例えば大学短大への進学率は57・9%らしいですからね。

それを考えると本を読むことは簡単に出来ますし、お金も大してかからない上に、そのパフォーマンスは使いようによってはかなり高い筈です。

何でパフォーマンスを出すのかは知りません、自分で考えて下さい。

ただ、20代後半がどう生きるべきなのか?と聞かれたら「本を読むべし」と言いたいです。

決してマイナスになることはないと思いますよ。

以上、年収200万円が語る20代後半の生き方でした、このワードで全て台無しになるパワー持っていますね。

恐るべし、「高卒」「年収200万円」



Phaさんのような生き方が出来るのか?


ども、銀歯です。
最近、ブログでも動画でもわざわざ名前を言って挨拶をする必要があるのか疑問に思えてきました。

何となく気持ちと話に入りやすいというメリットしかありませんが、辞めるのも面倒くさいのでもう暫く続けようかと思います。

さてさて、それはどうでも良いのですが、最近部屋で使っている灯油のストーブがついに天寿を全うしようとしている兆候があります。

やたらと点きが悪いのと、家のストーブは3時間経つと安全のためにボタンを押して延長をしなければ自動的に消えてしまうシステムが付いているのですが、このボタンを押すと70%程度の確率でストーブが消化されてしまいます。

というか、どのボタンを操作しても全般的に70%程度の確率でストーブが消化されてしまいます。

これがどういう意味かというと、30%を引き当てるまで何度もその場で待機して点火や延長が出来ていることを見届けなければならないのです。

つまるところ、面倒くさいということです。

ストーブがしっかりと点いている、あるいは延長されていることを見届けるまで20秒程度必要なので、この30%を引き当てるまでの間その場に拘束されます。

離れて結果が出てから戻ってきても良いのですけれど、30%を引き当てるのが遅れれば遅れるほどに苛つきと労力が増してしまいます。

外れたら再び点火ボタンを押しに行かなければなりませんからね。

なので大人しくまっています。

思えばこのストーブは既に20年以上使っているような気もします、自分が使い始めてから既に12年以上経っている訳ですが、その前から結構ボロボロの状態で家に保管してあった為、恐らく元は十分に取れているでしょう。

頑張ってくれました、しかし、自分はその健気に頑張ってくれたストーブの横っ面を先程殴ってしまいました。

決して感情でした訳ではなく、衝撃を与えることでこの症状が直らないかなと思ってしただけです、悪気はありません。

ストーブも分かってくれるでしょう。
さて、何故ここまで読んでくれた皆さんは自分の部屋にあるストーブ事情を聞かされたのでしょうか?

それは誰にも分かりません。
強いて言えば、今日一の無駄な時間を過ごして貰いたかったのです。

という訳で今日紹介する過去動画はこれです。

『家族にさよなら。ニートのその先・・・を観て底辺が思うこと【ザ・ノンフィクション】』

はい、これはつい最近出した動画ですね、何故これをこのタイミングで紹介するのかというと、単純にこの動画の中で出てくるPhaさんの本をたまたま図書館で見付けて読んでみたからです。

このPhaさんという方は、自称ニートという感じなのですかね?
お金が無くなったら労働をして必要最低限の省エネな生き方を実践している人です。

かといって、別に無理に節約したり、爪に火を点すような生き方をしているわけではなく、人脈や制度を利用して快適に生きているようなタイプです。

好きな時に好きなことを、好きなだけやって、面倒になったら辞めると言った何者にも縛られない割と自由な生き方を実践しており、
同じような考え方の人達の一種の理想像みたいな形ですね。

ある意味で、お金を手にしたら自分もやってみたいと思うような生活をしているため結構興味深いのです。

この状態の生き方は本来であればお金に余裕がなければ出来ないとされてきたスタイルです。
人生に必要な分のお金を確保しておいて、それでいて始めてこういう高等遊民のような生活が手に入ると思っていましたが、意外とやろうと思えば今の時代では資本が無くても成り立つ訳です。

まあ、「お金がなければ心配でこういった生活が出来ない」と思う人は恐らくお金を手にしたとしても、こういう生活は出来ないのでしょうね。

他の心配がわんさか出てくるからです、無ければ自分で心配事、杞憂を作り出すでしょう。

なので、確実に向き不向きがあると思いますし、斯く言う自分も恐らく無理ですね。

何故でしょう、こういう生き方は傍から見たらとても幸福そうに見えますし、考えてみればそこまで世間から別に咎められるようなことをしているわけではないと思います。
(咎めてくる人は確実にいると思いますが・・・)

人生が80年だと仮定したら、70歳ぐらいまで学生や労働をやり、纏まって好きなことが出来る時期はヨボヨボになった後の10年前後しかありません。

クソみたいに短いですよね。
真面目に生きようと思えばですが・・・

それに対して、こういう生き方を選択することで、少なくとも今現在の人生を自由に生きられる時間はより多く確保することが出来ます。

人間はいずれ死んでしまいますし、死は金持ちにも貧乏人にも、幸不幸問わず平等に訪れます。

だとしたら生きている間に少しでも幸福度を高めるような生き方をした方が合理的ですよね。

人生の大部分は、まだ見ぬ不幸「杞憂」への予防で費やされている事実を考えてもこれは明確な気がします。

そこまで分かっていても、恐怖を感じてしまうのは自分の中に根付いている「普通」への渇望、道徳心(恐らく何の根拠も意味もない)からなのでしょうね。

自分とPhaさんの違いは恐らくその辺の度合なのでしょう。

別にどちらが悪いだとかそういった類の話ではありません。

つまりそういうことです。

真夏の夜の夢


はい、銀歯です。

皆さん、ピザって食べますか?底辺が好きそうな食べ物ですが、値段が高いので実際は中流階級の食べ物でしょうね。

2400円とかしますからねえ、クソみたいに高いですよね。

しかし、直接取りに行くと半額になる日があったり、更にアルバイトは常に半額だったので両方組み合わせてかなり安い値段でピザが買えました。

けど、誰もピザなんか買ってなかったですけどね、それはそうです、だって失敗したピザは廃棄行きなので僕らは食べ放題だったので。

取り敢えず、過去にピザ配達のアルバイトをしたときのことを話している動画を紹介しておきます。

『ピザの配達やってたときの話し』です。

このアルバイトは結構良かったですね、楽だったし、バイクの運転と中で仕事やっているフリをすることが主でしたので時間もそれなりに進みが早い感覚でしたね。

そして、さっきも言ったようにピザ食べ放題でしたので基本的に店長や社員がいない夜の部はかなり舐めた態度で仕事していましたね。

お客さんもかなり濃ゆい人達が多かったのですが、店員も結構濃ゆかったです。

そして、クレームをそれなりに貰っていたのに怒られたりもすることがないので、アルバイトは全体的に舐め腐った感じで仕事をしていました。

中には動画内でも話していると思われますが、店の反対側の壁に穴を開けて店の金庫を抉じ開けて中のお金を盗もうとする奴までいました。

ちなみにこれは2回もやられたらしいです。

とはいえ、本当にアルバイトなのか分かりませんが、明らかにアルバイトでなければ知りえない情報での犯行だったので内部に協力者がいる確率は高いと思います。

ちなみに、犯人だと噂されていた少年は当時16歳ぐらいで、暴走族に入ったりしてやんちゃをしていたような奴でした。

しかし、結局のところ警察沙汰にすらなっていなかったようなので無関係かもしれません。

アルバイト達は結構いて、フリーター、大学生、専門学生、高校生と多義に渡っていましたね。

そして、アルバイト達の人間関係もそれなりにギクシャクしており、そんな感じも結構面白かったです。

自分が仲良かったのは当時17歳の高校生と19歳の大学生で、よく三人で旅行に行ったりして遊んでいました。

この19歳の大学生は今にして思えば、完全に意識高い系でしたね。

大学を卒業するときまでに全国家資格、民間資格を取りたいというとんでもない野望をほざいていたにも関わらず、全く勉強をやっていませんでした。

そして、マザーテレサに憧れており、人の役に立つことがしたい、死ぬ時は沢山の人に泣かれて死にたいと語っていました。

人類皆兄弟という反吐が出るような台詞を当たり前に使っていましたね。

多分、後々でマルチビジネスや情報商材のカモになったことでしょう。

けど、良いやつでしたよ、自分は面白くて好きでした。
めちゃくちゃ明るかったですし。

17歳の奴は暴走族に片足突っ込んでましたが、根が真面目な為に何とか踏みとどまって将来のことなんかを考えているような奴でした。

母親や姉と喧嘩してよく自分の家に避難してきていましたね、毎回クルマを運転させてくれとほざいてきていました。

この17歳は運動神経が良さそうな奴だったので、恐らく大丈夫だろうなとは思いましたが流石にさせていません。

自分が捕まりますので。

3人でいたときの一番楽しかった思い出ですが、意識高い系19歳の親の所有する車でとある温泉地に旅行に行きました。

なんでもそこは無料の混浴の温泉があり、長期休みには女子大生が温泉に入りに来ているということでした。

なので話し合いをして僕らは旅に出ました。

まあ、当たり前なのですがこのご時世混浴に女子大生がいるはずもなく、
僕らは温泉に浸かり夜の温泉地をドライブしていました。

そして、温泉地周辺の山の上にライトアップされているお城を見付け、そこまで行ってみようということになりました。

まあ、半分心霊スポット巡りみたいな感じで薄暗い夜のお城を堪能し、山から降りるときに事件は起こったのです。

意識高い系19歳の車はボックスタイプのファミリカーで、結構大きめのサンルーフが付いていました。

夏だということもあり、自分と17歳少年は上半身裸になってサンルーフから身を乗り出し、夜の風を感じつつ山を下りていたのですが、
後方から突然真っ黒のベンツが現れました。

そして、突然ハイライトにされ、窓から明らかにヤバそうな雰囲気の人が顔を出し怒鳴り散らしているのです。

自分と17歳はそれを見て身体を車の中に戻し、意識高い系19歳に向かって「逃げろ!」と叫びました。

しかし、意識高い系19歳は狼狽えたまま普通のペースで安全運転で下っているだけです。

まあ、今考えたら全く地理も分からないような山道をスピードを出して下るなんていうリスキーな真似はしなくて良かったなと思います。

意識高い系19歳がハンドルを握っていて良かったと思います。

しかし、ベンツはクラクションをならし、パッシングをしながら張り付いてきていました。

意識高い系19歳は「車、止めたほうが良いんじゃない?」と繰り返しており、17歳少年も「止めよやばいって」と言い出したので、

自分が「絶対に止めたらいかんって、動いてれば何もできねえから」と主張し、そのまま街に降りることを促し続けていました。

これは今でも自分の方が正しい選択じゃないのかなと思います、だって止めたら何をされるか分かったもんじゃありませんからね。

街まで出てしまえば何とかなります、知らんけど。

という訳で、さすがの自分も年長者の威厳で意見を貫かせてもらいました、怒鳴って無理矢理ですが・・・

で、この後がラッキーでした。

山を降りたところに何故かパトカーが停まっており、そのパトカーの隣に車を停めました。

すると、ベンツはそのまま大人しくスルーして夜の街に消えていきましたとさ。

この夏の夜の思い出は今ではいい思い出です、恐怖体験をシェアした彼等が今何処で何をしているのかは分かりません。

元気でやっているのでしょうか??

自分がケータイの番号を変える度に連絡を怠るような奴でなければ、今でもまだいい友達でいられたのかもしれません。

まあ、つまりそういうことです。