テレビを見ること


どうも、銀歯です。

皆さん、テレビ見てますかね?自分は最近めっきり見ないです。
けれど、テレビを付けると大抵面白そうな番組がやっており、見入ってしまいます。

最近、よく思うのですがテレビってやっぱり良いですよね。
ネットやyoutubeと違うことは、こちらから受信する選択肢が狭いのです。

番組は沢山ありますし、局もいくつかありますが、やはりネットのような膨大な数から任意に選択ができるわけではありません。

これはテレビというメディアの劣っている部分になりつつありますが、意外とテレビで見た雑学って結構良いと思うんですよね。

意識の外から発せられる情報を受信するって、ネットや本ではそこまで無いですからね。

興味のある分野を掘り下げて、深い知識を身につけたり、周辺情報を集めるのにはネットや本で調べることが一番良いのですが、
そもそも興味のあることや、興味のある人物のことしか調べませんからね。

それを繰り返していると、極端に視野が狭く、凝り固まった価値観になってしまいそうです。

ネットをやっていると、よく見かける人達というのは大体似通った思想や信条を持っており、似通った発言をしているように見えます。

それは自分の考えから来ている言葉なのか?と疑ってしまうような人も結構多いです。

そして往々にして自分色に染めようと熱弁を奮う人もいます。

テレビというメディアは洗脳や情報操作に使われてきたと言われがちですし、確かにそれは否定することは出来ないと思いますが

個人的にはインターネットの方が人って洗脳や情報操作しやすいとぼかぁ思いますよ。

なんせ元々が能動的に情報を受信していますからね、本人も「能動的である」という意思が強くあることこそ危険なわけです。

実は「受動的」でも、「能動的」であっても情報操作なんてものは受けているわけですし、そもそも「能動的」に見せているだけで実は「受動的」だったりもします。

GoogleやAmazonの広告なんかを見ていると、興味のあることしか広告表示されませんし、検索エンジンには近くの場所やよく見るサイトが優先的に表示されますもんね。

けれど、本人は「操作されていない」という強烈な自負があるのですから、「能動的」であるネットの方がテレビより遥かに厄介ですわ。

自らの意志でそこに至っている、という考え方そのものが一番厄介ですし、扇動をする側にとっては都合が良いわけです。

結局の所、いつの時代も大衆心理というのは個人よりコントロールしやすいんですよね。

なんてったって伝播して行きますからね、オセロと同じで黒に挟まれたら強固な意志で白でいようと思っていてもいつの間にやら黒になっているのです。

オルテガという哲学者は「人間は個人では賢いが、大衆になると途端に愚衆となる」と言いましたが、本当に的を得ているとぼかぁ思います。

人が如何に集団の中で生きている動物なのか?というのを考えさせられますね、皆騙し騙されて生きているんです!

では。

金持ちと貧乏人のマインドはどう違うのか?


ども、銀歯です。

クソ怪しいタイトルですが、自分はこのマインドの違いを勉強しようとする人や、マインドの違いを強調することで金を稼ごうとしている人どちらもあんまり好きではありません。

何故なら金持ちと貧乏人の違いなんてものは、貧乏人が求めている「何か」であって、実際にはそんな聖杯はないと思うのです。

一言で言ったら「運」だとすら思います。

今日紹介したい過去動画はこれです。

『貧乏人と金持ちの思考の違いを考えたい』

そもそも、このマインドの違いを求めるのは貧乏サイドです。
そして、発言しても良いのは金持ちサイドです。

そして、自分は前者の貧乏サイドであり、マインドの違いを求める側か清貧で満足することが求められているサイドでしかありません。

なので結局、このマインドの違い、金持ちになる方法といった類のものは今現在お金を手にしたことのある人間や、過去に大金を手にしたことのある人間にのみ語ることが許された希少性の高いものなわけです。

誰でも語ることはできません、いや自分みたいに語ることは許されていても結局説得力がないだけです。

ただ、語りますけどね。

まあ、そんな希少性の高い、限られた人間にしか語れないテーマではありますが、世に出回っている「こうすれば金持ちになれる」といった類の方法は星の数ほどあるでしょう。

どれもこれも、部分的には正しいのでしょうけど、多くの場合は自分の経験からのみ語ります。

何故なら自分の経験ほど価値のあるものはないと誰しもが思っているからです、自分が堂々と語れるのは自分の成功体験です。

しかし、具体的な方法ほど別の人間がやってみたとしても上手くいくわけがありませんよね。
時代もシステムも変化していますし、周りの人間の協力や環境によって大きく変わってきますし、その人間の才能やセンスといったものだって大きいです。

結局の所、行き着く先はマインドや精神論になると思うのですが、大体が普通の人が想像すればたどり着く答えに落ち着きそうですよね。

「努力しろ」「好きになれ」「夢中になれ」とか、そんなところでしょうね。

という訳で、自分はこの「こうすれば金持ちになれる」みたいなのを誰かに教えてもらうという行為がそもそも嫌いなのです。

結局、金持ちになれる人は確率的にはどういった時代でも一定数現れては消えていくものですし、大多数の人達は金持ちにはなれません。

子供の頃から努力して積み重ねて、ある程度他人より有利な人生を送ることはできます。
そーいった、建設的な人生は継続した努力で掴み取るこたあ出来ると思いますが、彗星の如く成金になれる人は確率的には極わずかです。

多分、本人も何故そうなれたのかというのを後付の理屈でしか説明することは出来ないでしょう。

例えばIT業界で成功を掴み取った人間がいたとして、その人がプログラムを好きだった理由は恐らく「将来の世界が見えていたから」ではないと思うんですよね。

そーいうすごい人もいるかもしれませんが、基本的に人間に長期的な未来なんか予測できません。

勝てば官軍で、勝ったものはそのプロセスを正義とすることができます。
それを否定するものは「負け惜しみ」「嫉妬」で封殺されてしまいます。

挑戦し続けている人は成功者になれるとか良く聞きますが、底辺でも常にパチンコ・スロット、株やFXで一攫千金を狙って挑戦している熱い連中もいます。

逆に慎重に石橋を叩いて渡る人こそ成功者になれるというのも分かりません。

だってそういう人も底辺にいますからね。
転職をすることで年収が上がったとしても、当然転職にはリスクも付きものですから石橋を叩きまくっている人だっています。

結局の所、何らかの形で運良く成功者になれた人達の作り上げた伝説こそがこの金持ちと貧乏人とのマインドの差だと思うわけです。

イケダハヤトさんという元ブロガーで現YouTuberがいますが、彼は自分から見たら成功者と言えるレベルでお金を稼ぎ出しているみたいです。

そして、例えゼロからやり直しても再び自分は成功出来ると豪語しております。

これが知名度までリセットされることを想定しての話かどうか分かりませんし、それによって大きく変わってくるかと思いますが

まあ、自分の知名度がゼロに戻ったとしたら、同じルートで今までの経験を活かしての成功になるとは思います。

結局それって経験やら環境やらがゼロになってはいないので、強くてニューゲームだと思うんですよね。

まあ、成功やら金持ちやらは、時代によっても求められる能力も変わってきますし、結局んところ「運」ですよね。

マインドではなく運だと思います、そして成功者の作り上げた伝説の中に真実はないと思いますよ。

正確には成功者や金持ちの、そうなったプロセスを懇切丁寧に教授して貰えれば金持ちになれるのかもしれませんが、少なくともマインドの違いなんてものは無いと思います。

あって欲しいというのは貧乏人の願望です、ありさえすれば安心出来ますからね。

しかし、現実はもっと複雑系でしょう。
それにしてもブログを書きなぐっていると何故かウンコがしたくなります。

という訳でトイレ行ってきます、さようなら。

それ思い込みだぞ


どーも、銀歯です。

どうでも良いですが、人間が何故えずくのかを考えたことありますか??

何でゲロを吐くんでしょうか?

腐ったものを食べたり、飲み過ぎたりして、吐くのは分かりますけどね。
恐らく体内に入った悪いものを出す為でしょう。

ただ、例えば道端でウンコを見たり、匂いを嗅いだり、死体を見たりして吐き気を伴う理由が良く分かりません。

嘔吐中枢を刺激することで、人は吐き気をもよおすらしいですけど、これって思い込みなのでしょうか??

自分は匂いが一番吐き気に繋がりますが、嗅覚っていうのは腐った食べ物を感知するためにも使われていたと思うので、敏感に感じ取り吐き気に繋がるんでしょうか?

これも人によって個体差がありそうですよね。

じゃあ今日の過去動画はこいつです。

『雨の森で「人間の思い込みの強さ」について語る』

まあ、内容はオカルト的な話になっていますが、結構この類の話し好きなんです。

実はこの世界はヴァーチャルな世界なのではないか?という仮説です。

自分が考えたわけではなく、誰かが言ってたやつですが、量子力学の観点から推測するとヴァーチャルな世界である可能性が極めて高いらしいです。

自分が今、見えているものこそが世界であって、見えていない世界は存在していないとかいう凄い話しです。

まあ、こういうのは全て仮説であって、今の段階の人類ではとてもじゃないけど答えは導き出せないといったところでしょうか。

色々な仮説が飛び交っています。

自分が一番怖いなと思ってしまう仮説は、何度でもこの世界が無限ループしているというものです。

宇宙の始まりから終わりまで、何度も何度も無限に繰り返しているというやつです。

怖くないですか?だって、分子の動き一つ一つまでも完全に同じなわけですから自分たちの人生もそっくりそのまま何度でも繰り返すらしいですよ。

これって別に自分の人生が碌でもないとかそういうことに限らず、たとえ幸福度の高い人であっても嫌じゃないですか?

地獄ですよ、意識はないと思いますが何度も繰り返す程恐ろしいものはないです。

その世界に生きている自分は自分だと言えるかどうか知りませんが、まあ限りなく自分っぽいですもんね。

この文章も何度も繰り返し、無限に書いているわけです、これが何度目なのかすら分かりません。

いやあ、そんなことを考えると責めてなるべく幸せに生きて死にたいような気がしますけどね・・・

そう言えば思い込みについて書くつもりでした。

まあ、思い込みっていうのは壮絶ですよ、人は思い込みにより生きていると言っても過言じゃないですからね。

人ってのは思い込みで自殺したり、他人を殺したり平気でしますから、やっぱり思い込みというのはプラスにもマイナスにも作用してしまうわけです。

自分はよく自己啓発本を否定したりしますが、本当に思い込めるのであれば効果絶大かもしれませんね。

本当に思い込めるのであればですが。

まあ、ネガティブな思い込みの強い人はどう考えても人生損をしてしまうような気もしないでもないですが、実際のところ、今の今までどっちのタイプも存在しているところを見るとそうでもないのでしょう。

いつも思いますが、適者生存なんですよね、実にバランスが取れています。

ところで、此処まで書いてきて、つい最近同じ様な内容を書いたような気がしないでもないことに今気が付きました。

覚えてないんです、許してください。

ではでは。

幸せは思い込み


ども、銀歯です。

皆さんにとっての幸せって何でしょうか?

幸せとか、幸福度とかいうワードを使うと、どうしても自己啓発臭がしてきてしまいますが・・・

やはり人生において重要なことだと、ぼかぁ思うのです。
何故なら人は思い込みで生きている部分が多いからです。

まあ、人それぞれ幸福の定義は多少違うかもしれませんが、概ね一緒なんじゃないでしょうか。

今日、紹介したい過去動画はこれです。

『幸せの定義をする底辺』

自分の幸せの定義は、「生きてて良かったと思う瞬間」をより多く得られる人生って感じでしょうか。

幸福感を感じる為には、人は自分と他人とを比較する必要があります。

世の中でたった一人で生きていたら、恐らく将来への不安だとか、不幸だとか、そんな悩みすらないわけですからね。

肉体的な苦痛とかはあるかもしれませんが、比較対象が一切いないのであれば精神的苦痛は無いと思います。

でも、事実世の中には自分以外の他人も多く生きています。

不幸という概念は、他人がいるからこそ成り立つわけで、もっと言えば心の中で作り出した他人像や想像が自分を不幸にしている感じでしょうか。

自分で書いていて、物凄く自己啓発っぽくて嫌なのですが、事実そうだと思います。

考えてみれば、人はいつか全員死にます、動物も植物も命に期限がありますが、これだって自分以外が不死であれば、物凄く理不尽を感じるように思います。

若くして病気にかかり、死んでゆく人が「なんで自分だけ」と言っているシーンをよく見ます。

これは恐らく、周りの人間がまだ若く、生命力に溢れているからそう感じるのでしょう。

しかし、ある程度の年齢になった人は決して死を恐れません、周りが次々に亡くなって行き、次は自分の番かと覚悟をしている人の方が多いかと思います。

自分以外も皆死ぬという事実があるからこそ、人は死を一概に理不尽だとは思わないわけですよね。

結局、人は他人の存在があって初めて幸不幸を測れる生き物です。

人間以外の動物が幸不幸を考えているのかどうか知りませんが、ここまで強烈に幸不幸を考え、理不尽を感じ、世の中を恨んだりする生き物も人間だけでしょうね。

で、恐らく皆、幸福になりたいと思っていることでしょう。

他の人は知りませんが、少なくとも自分自身はそうです。

つまり、他人と比べて幸福度が高い人間になりたいと思います。

その為には、「生きてて良かったと思える瞬間」を出来るだけ継続的に味わえる環境を自分自身で作り上げる必要性があります。

それは別に何でもいいです、何で生きてて良かったと味わえるかというのは、人それぞれ違うでしょうから。

金持ちになって自分の生活レベルを上げたり、地位や名誉を高めて承認欲求を満たしたり、仕事を辞めて山奥で一人で生活をしてみたり、
宗教に入信して他人の教えに全てを委ねたり、自分の家族を形成してみたり、やり方は様々でしょう。

例えば金持ちになることはどうしても出来ないと思うのであれば、家族を作ったりすれば良いわけですし、家族を持てないと思えば、趣味を極めてみたり、宗教に入信してみたりすれば良いです。

まあ、要は自分に形成可能な、継続的に幸福感を味わえる環境を作り上げることが大事なので、これは他人に否定されようが整えて置いたほうが良いとは思います。

別の動画で話しましたが、やっぱり人は希望を失うと死ぬと思いますから。

心の支えは何でも良いと思います、結局全て思い込みです。

思い込みで世界は成り立っているようなもんです、自分が幸福だと思えば幸福だし、不幸だと思えば不幸なわけです。

思い込みで希望を持つことが出来れば人は生きていけますし、思い込みで希望を失えば人は死にます。

人間の思い込みの力っつうのは凄いですよね、でもこれ事実だと思います。

しょうもない思い込みで人は今日も生きているんです。

どうせ思い込むんであれば、プラシーボ効果の方がお得だとは思いますけどね。

じゃあ今日もうんこしてきます。
うんこは思い込みではありません。



馬鹿ほど成功できるとは


ども、銀歯です。

皆さん、成功してますか?何を持って成功なのか?それは他人が決めることではないですが、金銭的な成功は定義しやすいですよね。

年収1000万円稼げたら成功、金融資産1億円あれば成功、みたいな感じで他人から見て成功かどうか計れます。

学歴も、雇用先も、家族関係も分かりやすい物差しになります。

ちなみに僕は何も持っていませんが。

というわけで、今回紹介したい過去動画はこれです。

『成功する人は本当にバカなのか?を考察する』です。

この動画は、リクエストに答えた動画なのですが、答えから言ってしまえば恐らく馬鹿は成功出来ませんよ。

まず、何を持って成功かと言うと、この場合はお金を持っていることを前提に話していますが、資本主義の世の中です。

皆、万能の引換券である「お金」を取りに来ます、「お金」がその辺に落ちていたら必ず誰かが拾います。

お金は動物で言ったら餌です、命の源なので、皆で奪い合うんです。

そんな貴重なものを、他人を出し抜いて獲得出来る訳ですから、普通で考えたら馬鹿には無理です。

なぜ、こんな質問が来るのかというと、単純に行動する人や行動力のある人が馬鹿に見えるからでしょうね。

当然、行動回数が多ければ多いほどに失敗も増えますからね。

何かをする為には、大体何かしらのリスクが潜んでいます、人はそのリスクとリターンを天秤に掛け、行動するのだと思いますが

傍から見たら成功するまでは、リスクが大きく見えることもあるでしょう。
それに行動したところで、それなりのリターンが得られるものは成功率もそこまで高くないと相場が決まっています。

世の中の殆どのものはリスクとリターンが釣り合っていたりしますからね。

なので当然、殆が失敗に終わりますが、それを頭が悪いとしているのだと思います。

やはり、何事も成功するためには、リスクとリターンを見極めて何かを選択し、ある程度は継続してやることが大事だと思いますわ。

多分、世間一般で言われる「馬鹿」には難しいかと思います。

まあ、何を持って馬鹿なのか分かりにくいですけどね、少なくとも行動力があることに対して馬鹿というのも違うかなと思います。

石橋を叩いて渡るような安定志向で、リスクを恐れて何事にも挑戦しないままでいる人もサラリーマンやっていればたくさんいますよね。

というか、殆がそれだと思います、そういう人はリスクを取らずに、
大成功も取らない、つまり、リスクを取らないことによる「安定感」というリターンを得ているわけです。

この戦略も何もおかしなことではありません、というか、多分自分もこっち側です。

どちらの選択も間違えているとは言えないでしょう。
結果は未知ですからね、結果が事前に分かっていたら皆、行動します。

要はどちらが賢いのか?馬鹿なのか?ではなく、選択の違いでしょう。
人生に措いて、自分にとって何が価値のあるものなのか?それを手に入れる為に、どういう選択をするのか?の違いだけでしょうね。

世の中には、そこまで馬鹿な人もいませんし、天才もいません。

自分がしない選択を取る人に対して、簡単に馬鹿だと決めつけるのは結構リスキーですよね。

ちなみに、僕の年収は200万円です。
リスクを取らずにリターンである200万円を貰っています。

さよなら。

幸せの定義


ども、銀歯です。

皆さん、幸せでしょうか?普段、自分が幸福だって思う瞬間も中々無いですよねえ。

今日、紹介したい過去動画はこれです、「幸せの定義をする底辺」です。

まあ、単純に普通にぼんやり生きているときに、「ああ、俺幸せだなあ」と思う瞬間ってそうないと思います。

たまーに、日が沈んでいくのを見たりすると「生の喜び」を感じる時はありますが。

逆に「不幸だなあ」とも思ったりもしないので、自分が幸福なのか不幸なのかよく分かりませんけどね。

よく分かりませんが、取敢えず他人から見た自分は「不幸」に属しているとは思います。

世の中には、お節介な人が割と存在しており、「貴方は不幸ですよ」と教えてくれたりもするので、まあ他人から見たら不幸に見えるんだなあとは理解しています。

確かに年収は低く、独身で家族を持っていませんので、社会に対してマウンティング出来そうな標準的な価値を持っていませんので仕方がないでしょうね。

まあ、幸か不幸かというものは自分自身で決めればそれで良いとも思いますが、第三者からどう見られているか?という部分も人間関係を円滑にやってゆく上では大事なことなんですよね〜。

人間は社会性の高い動物なので、他人との接触の中で自己のアイデンティティを確立していることを考えれば当然のことだとは思います。

まあ、それは別にどうでも良いのですが、やっぱし幸せという定義は中々難しいものがありますよね。

死ぬ間際になって人生を振り返ってみて「幸せ」だと思うのか、
幸せだと思う瞬間を積み重ねて行くのか。

人によりけりかもしれませんね。

その瞬間瞬間の刹那的な「幸せ」で人生を通しての「幸せ」の総数が決まるのであれば、なるべく多くの時間をセックスをしているか、麻薬をやっているかで達成出来そうな気がします。

要は脳内麻薬を出来る限り味わい続ける人生です。

けれど、人はなるべく長く生きようとしますし、生きていれば不幸なことも当然のようにやってくるのですが。

それなのに、昔から人は出来るだけ生きようとします。

やはり、長く生きたほうが幸福感を得られる瞬間も多くなるからでしょうか?

自分のDNAのコピーである子供を作ることも、長生きする目的の一つでしょう。

動画でも話していますが、やはり家族を作るというのはかなり理にかなっていますよね。

家族を作れば、幸福感を味わえることも多いような気がします。

恐らく、孤独でお金が少ない人<お金があるけど孤独な人<お金は少ないけれど孤独ではない人。

この3種類の中ではこうなってくるような気がします。

これはあくまでも個人的な偏見かもしれませんが、家族を持つということはやはり人生の数々のイベントの中でも幸福度に寄与する割合が大きいかなと思いますね。

まあ、確かにお金があれば孤独でも生きていくことは出来ますけどね。

ちなみにこの場合の孤独というのは、友情なんかでカバー出来るのではないか?という問題もありますが、そうは思いません。

確かにそれで表面上の孤独感は癒せるとは思いますが、例え錯覚であろうとも他人のことを愛おしいと思うことで幸福度はかなり上がると思うからです。

だからこそ、子供を持つ親はそれなりの幸福感を維持しているのだと思います。

以前、テレビでお笑いタレントの澤部という人が言っていました。

「毎日、こんなに幸せで良いのか?って思ってますよ、今の俺に貴方がなったら余りの幸せにびっくりしますよ」みたいなことを言っていたのです。

(台詞うろ覚えですが)

澤部さんは小さな子供がいるそうです、この言葉を聞いてまず思ったのが、やはり人生の幸福度を高めようと思ったら他人の力が必要なんだろうなってことですね。

っつうことで、何が言いたいのかというと、澤部さん羨ましいということです。

さよなら。

宗教って何だろうな??


ども、銀歯です。

皆さん、宗教やってますか?信仰してますか?

宗教やってる人も、いない人も、明日も元気生きていきましょう!

ということで、今日紹介したい過去動画はこれです。

今の時代、宗教、特に新興宗教に関しては批判されがちですが、
宗教や信仰っていうのはかなりコスパの高い幸福度を上げるツールなのだと思います。

例えお金がなくても、貧乏人でも、幸福度を上げる事が出来るもの。

それが家族と宗教なのでしょう、そう言った意味でも宗教というのは人類史に必要不可欠なもので、人間と共に寄り添い歩いてきた歴史があるかと思います。

一応、言っておくと自分は特に何かの宗教に属しているでもなく、信仰はないのですが、宗教を否定することもまたクレイジーだと思うスタンスです。

やはり、資本主義なのでお金が幸福度とイコールとはならなくても、ある程度は相関関係にあることは間違いないです。

しかし、お金というのは一部の人が独占しがちで、万人に行き渡る類のものではないので

資本がない人々の方が圧倒的に多いのです。
その点、日本は腐ってもこの間まで経済大国だったので、まだ裕福な人間が多いかと思います。

それもまた日本人に信仰に無関心な人が多い理由の一つでもあると思いますが。

まあ、ともかくお金がない人は代わりに何かに縋って生きる必要性がありますよね。

人によってそれが学歴であり、友達であり、恋人であり、家族であり、ペットであり、クルマであり、会社であり、民族であり、誇りであり、先祖であり・・・本当に様々です。

それらを他人と比べ、相対的に幸福度を高めているのです。

それが卑しいというのは間違えています、人間が生きていく為に絶対に必要なものですからね。

清貧を心がける人であっても、清らかな心という点で他人より勝っているという自負を持って自尊心を満たしているのです。

そして、これらを遥かに超越した幸福度を上げる柱が宗教、信仰です。

多くの宗教は「死」に注目しています、死という誰にでも訪れる平等な出来事をベースにして話が展開していくケースが多いですよね。

今生きている世の中では不幸であったとしても、「死後の世界」という未知の世界では貧富の差が消えてなくなると考えるのです。

そしてそれを希望の光にすることで、現状に対して不満のある人間は心の安定を得るわけですね。

そしてその死後の世界、来世で幸福になるためには、今の世の中で善行を積む、信仰を深めるということが必要になるケースが多いです。

しかし、お金がなくてもそのぐらいであれば貧乏人でも可能ですから非常にコスパに優れたシステムだと思います。

しかも、プロセスが必要ありません、ただ言われた通りに信仰することで幸福が確約されるわけですし、死んでみなければ実績も何も分かりません。

という意味でも完璧なシステムなのです。
何も持たざる者が、現世で幸福度をお気軽に高めることのできるツール。

それが宗教です。

今では神の存在をそこまで如実に信じている人は少ないかと思いますが、それでもやはりこの宗教のシステムは人間が人間である限り無くならないと思います。

ちなみに自分は来世ではセミになる予定です。
セミになり、夏の終わり頃にポテッと地面に落ちて、蟻に身体を少しずつ齧られながら死にます。

最後に一鳴き「ジッ」とかましてやりますよ。


僕らはズレを愛することが出来るのか?


どうも、銀歯です。

今日紹介したい動画はこれです。
『精神年齢がクソ低い底辺労働者』です。

これも随分と昔に作った動画ですね、こんな動画作ったっけ?と思いながら観ました。

まあ、自分自身はネタやギャグで言っているつもりでも、実際相手や周りにはそう伝わっていないことが多いという話ですね。

ギリギリのラインを攻めすぎてしまう癖があるんでしょうね、あと真顔で同じ声のトーンで話すので冗談なのか本当か分からないとは言われます。

まあ、これも周囲とのズレと言ったらズレなのでしょう。

今回はこの「ズレ」対して個人的に思うことを書いていきます。

まあ、ズレは一般的に直したほうが良い部分だとされますよね。
実際そう言われます。

けれど此処を本当に修正した方が良いのかどうか良く分かりません。

こういうズレというのは、時として武器になったりもすると思いますので普段生きていてそこまで困ることがないのであれば、そのままにしておいても良いのかなとも思うのです。

多少、周囲に迷惑をかけることになるかもしれませんが、そこは我慢して貰いましょう。

というか、誰にでも多少なりともこういうのありますよね?
例えば自分だけ異様にテンションが上ってしまっているけれど、周りはそうでもないみたいな状態や、

その真逆で、周りがテンション上がっているのに、自分は理解出来ずに上がらないという微妙なズレです。

心霊スポットや廃墟とかがその例ですね、周りは大人なので楽しいわけがないのですが、自分はワクワクしてしまい、何故周りの人達がこんなにテンション低いのかと普通に思っていました。

よくよく考えてみれば変なのは自分の方なんですけどね、皆もう立派な中年ですし。

子供の頃に探検が大好きだったのをそのまま引き摺って中年になってしまったようなものですからね。

逆に皆でゲームセンターに行ったりする時なんかは周りより全然テンション上がりません、飲み会も微妙です。

別に好きじゃないんでしょうね、こういうズレは人それぞれで好き嫌いもありますし、環境や性格の違いもあるので当然ありますよね。

まあ、ベースの部分では大体の人が共通しているベースの部分が違ってくると周りに甚大な迷惑を与える可能性もありますが。

道徳心やら責任感や社会性とか、そういった類のものですね。

ズレが大きければ大きい程に、欠陥品とは言いませんが、まあ少数派なので生きていくことに苦労しますよね。

今回の自分のケースはあくまでも趣味やそれほど迷惑を掛けない程度の癖の話しなので、そこまで深刻な話でもないのですが、人によってはこのズレが大きな歪みとなり人間関係を上手に構築出来なかったり、人生に暗い影を落としたりもするのだと思います。

最も、その「ズレ」を利用してお金を稼いだりする人だっていますが、やはりそれは一握りの人です。

殆の人が「ズレ」に苦しめられることでしょう。

ズレはよく考えれば当たり前のことだって思いますし、だからこそ人間は人間を好きになったり、嫌いになったりと人生の醍醐味を味わう事が出来るって考えると素晴らしいものですけどね。

この「ズレ」を人類が愛せる日はまだまだ遠い未来の話しなんでしょうね。

いや、来ないかもしれません、デザイナーズベイビーが大量生産される未来がやって来たらより一層「ズレ」は悪と見做されるでしょうし。

まあでも、未来のことなんかどうだって良いですよね、生きてないですし。

っつうことで、さようなら。

KAWASAKI及び250TRに謝罪したい


どうも、銀歯です。

そろそろバイクに乗れる季節がやってきましたね、暖かくなってきたからといって調子に乗ると花粉にやられてしまうのでまだまだ本格的には乗れませんけどね。

『250TRの宣伝してたら猿の群れに遭遇してビビる底辺』

自分の愛車であるKAWASAKIの250TRをディスる動画です。

この動画を撮っている時点ではエンスト病に悩まされていましたが、原因はマフラー部分に付いている配線の接触だったらしいです。

バイク屋にメンテナンスに持っていったときに判明しました。

まあ、2・3年間ずっとエンスト病と付き合い、騙し騙し乗ってきましたが赤信号や一時停止で止まる度にエンストされると、いい加減イライラしてしまい天下のKAWASAKI様に対して暴言を吐いてしまったことを謝罪しようと思います。

しかし、今や絶版となった250TRですが、このバイクはエンスト癖があるというのはTR乗りの間では有名なので勘弁してください。

やはりそこはKAWASAKIの努力不足だと思うのです。

バイク自体はとても気に入っております。
何と言っても形が好きなのです、バイクは所詮趣味のものであることが多いですしね。

まあ、貧乏大学生や底辺の間では移動手段として使用している人もいるらしいですが。

田舎だと中々移動手段にはなり得ませんよね。

しかし、バイクの偉さは排気量に寄って決まるという暗黙の了解があるような気がしてなりません、あれは何なのでしょうか?

確かに駐車場にバイクが並んでいる時に小型のバイクは形見が狭いですし、「大型買いなよ」「跨って見れば?」と、しょっちゅう勧められます。

あと最近めちゃくちゃハーレーを見るのも不思議ですね、年齢が若い人でもみんなハーレーに乗っているような印象すら受けますが、あのバイクって結構な値段しますよね。

近頃は女性のハーレー乗りもちょくちょく見ますね、バイクに乗っている女性って格好いいと言われがちですが、あれはアンバランスがいい方向に作用しているパターンなのでしょうね。

ヤクザが善行をすれば、善良な国民が善行をするよりか印象がよく、注目されやすいという錯覚と同じ心理状況ですね。

ヤクザの場合は暴力=強さ。
強いものが弱いものを救う、助けるという格好良さに結びついてしまうのでしょう。
それはあくまでも錯覚ですが。

それと一緒で女性に関しては弱々しいもの、可憐なものであるというイメージの女性が、ワイルドさを感じる男の乗り物であるバイクに跨るという行為で、ある種の自立をイメージするのかもしれません。

しかし、これが世間であまりイメージの良くないであろうオタクが、同じくアンバランスであるはずの例えば格闘技をやってますとなっても、
特別にイメージの相乗効果はあるように思えません。

いや、これは自分だけかもしれませんが。

なんですかね、バイクの話はどうでも良くなってしまったのですが、これは考えてみると上から下に降りてきてくれているという錯覚が必要になってくるのかもしれません。

なので個人的ヒエラルキーが存在しているのでしょう、そしてそれに左右される類の錯覚かもしれません。

自分はヤクザや女性を上に見ており、オタクを下に見ていることを今気が付きました。

ヤクザや女性という神々が地上に降りてきてくれるという奇跡に感動していたのですね、いや、もっというと暴力の化身と、性の化身と言えるでしょう。

暴力と性は本能に揺さぶりをかけてくるのです。
オタクはどちらにも属していないですからね、自分にとっては。

これは恐ろしい事実を発見してしまいました、ヤクザが善行をすることが美化されて見えることは、暴力の化身に怯える心。

女性がバイクに乗ることを美化する心は性の化身が・・・いや、考えてみれば自分は別に女性がバイクに乗ってても格好いいとか思いませんでした。

そもそも女性が同性のバイカーを見ても、格好いいとか自立していると思う気がしますのでこの説は成り立ちません。

いや、その前にヤクザのケースも、彼等が善行を積んでいても特別善人だと思うような純粋な心はもう持っていませんでした。

僕は一体何を書いているのでしょうか、とにかくKAWASAKIの250TRは格好いいのです。

おわり。


底辺には地雷がたくさん埋まってる


どうも、銀歯です。

内田裕也さんが亡くなったらしいですね、自分は樹木希林さんが結構好きでした。

なんか言葉のチョイスが素敵でしたね、それと据わっているような表情が良かったですね。

なんとなく素敵な女性だと思います。

さてさて、今日紹介したい動画はこれです。
『虎の尾を踏んだ底辺』です。

この動画ではプライドの高い元幹部とのやり取りの話しですね。
ひょんなことから高学歴?元幹部の人のプライドを傷つけてしまったばかりに、反撃を受けたという何とも面倒くさい話ですね。

この時は、「シエスタ」という言葉を巡っての攻防戦だったのですが、
そもそも言葉を知っているとか知らないとか別にどっちでも良いような気がします。

鳥くんだって、自分の知らない寿限無を知っていますが別に何とも思いませんけどね。
知っているということは、何かでそれを覚えたというだけで、余りにも知らないのはコミュニケーション的に問題かもしれませんが特にそれで人間として上下関係が出来上がるわけでもないですし、徳が高い訳でもありません。

基本的に小学生レベルの国語が出来れば他人とコミュニケーションも取れると思いますし。

なので「シエスタ」という言葉を知っている知らないでマウントを取るつもりは一切無かったのですが、マウントを取られたと認識されて反撃されたことに対して結構ビビった記憶があります。

確かに自分が知っている言葉は周りも知っているという認識になってしまいがちですけど、ここから発展するトラブルは意外と多いかもしれませんね。

底辺で本が好きな人は特に注意が必要だと思います。

統計的に本を読む人自体が少数派らしいですからね、余計な言葉や概念を他の人より多く知っている可能性も高いです。

中には便利な言葉もあって、それらを日常的に使ってしまうと余り良いイメージにはなりません。

こういうことを考えると、底辺作業員として本を読むことは百害あって一利なしなのかもしれません。

自分の場合は別に本を勉強の為とか、自分への投資等と言った高尚な目的で読んでいる訳ではなく、面白いと思うものを読める時に読むといった認識なので、漫画を読むのと意識は全く同じです。

それでも、本を読むと嫌でも余計な言葉覚えてしまいますからね・・・

その一言で途中の説明を省ける便利なワードとか結構ありますしね。

この動画での「シエスタ」に関しては「昼寝」の方が万人に伝わるといった意味では良いですけど、ただのネタですなので「シエスタ」でなければ成立しないわけです。

そして一応気をつけているつもりですが、たまに動画のコメント欄でも指摘されますので、自分も徹底することは出来ていません。

頭悪い底辺低学歴の癖に本で読んだ言葉を使っているのが滑稽といった意見です。

言われて気がつくのですが、それは事実そのとおりだと思います。

低学歴が故に余計に目立ちムカつくというポイントも良く分かります。
そのつもりはなくても、わざわざ格好付けた表現を選択したりして背伸びしているように見れるのでしょう。

まあ、大学で言葉を学んでも、本で学んでも意味さえ合致していれば特に関係はないと思いますが、ムカつかれるという事実は確かにあります。

そう考えると、「底辺」「低学歴」といったワード自体が下に見られる要因ですので、ネガティブな感情に繋がるという部分はあるのでしょうね。

下のはずの人間が、自分の知らないワードを使っているということが、
「気取っている」「格好つけている」「調子に乗っている」
という感情になり、人を苛立たせるのでしょう。

それはすみません、自分の特性なのでスルーして貰いたいですが笑

まあ、何故そういう感情に結びつきやすいか?を考えると、自分より下だと認識している人間は全てのパラメーターや、全ての分野の知識も劣っていなければ整合性が取れないといった感情からくるものでしょう。

これ自体は、生物の本能に由来しているので別に歪んだ感情とかではないとは思いますが。

まあ、誰かが人を見下していると思うこと自体が、実は「そう思っている人間こそが、その人を見下している」という感情から生まれるジレンマ的な負の連鎖ですからね。

自分と旧銀歯班の関係ですね笑
お互いがお互いを見下しあっており、ウロボロスの蛇状態なのです。

ウロボロスの蛇というのは自分の尻尾を咥え込む蛇の輪のことです。

今、思ったのですがこれも便利な言葉ですよね、本当にこれがワードとして相手に伝わっているのかどうか分かりませんが、意味はググって下さい。

なんかこの文章をここまで書いて思うのですが、本当に人間関係って複雑怪奇で面倒くさいもんですよね。

心の読み合いだとか、マウントの取り合い、自尊心、承認欲求と、この辺は全て野生動物のシンプルな生き方から離れた独立した人間だけの人工的なものでしょう。

だけど根っこの部分は相手より優位に立ち、競争に勝ち、より良い遺伝子を後世に残したいといった生物の本能です。

みんな自己中であって、自己中じゃないんですね、深いですね。

取敢えず、ウンコしてきます。